松本明子さん、人の好さそうなバラドルとして長年テレビで活躍していますね。
現在の肩書は歌手、バラドル、お笑いタレント、女優などです。
そんな松本明子さんは、
元々はアイドル歌手としてデビューしています。
でも、ある事件をきっかけに、アイドル生命がそこで終了し、
芸能界から干されてしまいました。
それは放送禁止用語を叫んでしまったことです。
いつの出来事なのか?何を叫んだのか?
なぜ叫んだのか?について、事件の真相を調べてみました。
どうぞ最後までお付き合いください。
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松本明子の放送禁止用語事件で叫んだ言葉は何?いつの出来事?
松本明子の放送禁止用語事件はいつ?何叫んだ?
その放送禁止用語事件は1984年に起きました。
「オールナイトフジ」の1周年記念および、
「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」の
10周年記念の共同スペシャル番組で、
放送禁止の4文字の言葉を叫んでしまったのです。
その言葉は、女性の陰部をさす言葉「オ○○コ」。
この言葉を発したが為に、
翌日の新聞に掲載されるほどの大問題となったのです。
松本明子は言葉の意味を知らなかった
松本明子さんは、その後2年近くも芸能界を干されてしまいました。
後に松本明子さんは、
「香川県出身ゆえに、その言葉自体の意味を知らなかった」
と弁明しています。
松本明子さんは、その4文字の放送禁止用語を
生放送で発してしまったため、
ほぼ仕事ゼロの生活を余儀なくされました。
国立駅のベンチで1日中悩んだこともあったそうです。
嘘か真か、公園のトイレで寝泊まりしていた時期もあるのだとか?
そこまでしても、芸能界から身を引かなかったのは、
後の活躍を考えると正解でしたね。
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松本明子が放送禁止用語を叫んだ理由は?脅されたから?
では、なぜ、松本明子さんは、
生放送中に業界でタブーとされている「放送禁止用語」の
4文字を発言してしまったのでしょうか?
それは、松本明子さんが「不作の83年組」と呼ばれたことが一因です。
「不作の83年組」
松本明子さんは、1982年に
オーディション番組「スター誕生」に合格し、
翌年ナベプロ入りを果たし、アイドル歌手としてデビューしました。
「スター誕生」とは
山口百恵さん、ピンクレディーさん、中森明菜さん、小泉今日子さん等、
新たの女性アイドル歌手を輩出した日曜お昼の人気視聴者参加型歌手オーディション番組。
1971年10月3日から1983年9月25日の12年間に亘って放送され、初代司会者は当時人気絶頂だった萩本金一さん。
審査員は阿久悠さんを始めとした売れっ子作曲家、作詞家など。
しかし、松本明子さんは、
アイドル歌手としてなかなか売れませんでした。
かつてアイドル黄金期とよばれた1980年代でしたが、
1983年にデビューしたアイドル歌手達は、
その前後の年と比べるとみんな”小粒”だった為に
「不作の83年組」
という不名誉な括りで呼ばれていました。
因みに1982年デビュー組は中森明菜さんや小泉今日子さん、早見優さん、堀ちえみさんをはじめとするアイドル達で、「花の82年組」といわれるほど売れっ子が次々と誕生しました。
また、1984年組としては、斉藤由貴さん、菊池桃子さん、吉川晃司さん等錚々たるメンバーがデビューしています。
その82年と84年のアイドル当たり年の谷間の83年にデビューしたのが松本明子さんをはじめとする「不作の83年組」なのです。
83年組は他に、森尾由美さん、大沢逸美さん、桑田靖子さんなどがいますが、
やはり今から見ても不作ですね。
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笑福亭鶴光と片岡鶴太郎に脅された?
そんな状況下、松本明子さんは
テレビとラジオの2元生放送に生出演。
当時の松本明子さんにとっては名前を売る絶好の大舞台だったのです。
そんな松本明子さんに、MCの笑福亭鶴光さんと片岡鶴太郎さんは
「ある4文字を叫べば一躍有名になれる」
とたきつけたのです。
デビューはしたもののヒット曲もなく、
鳴かず飛ばずでくすぶっていた松本明子さんにしてみれば、
売れっ子芸人達から「有名になる」と言われれば、
これはチャンスとばかりにかなり気合も入った事でしょうね。
さらに、片岡鶴太郎さんが
「お前の彼氏、俺知っているんだよ」
と松本明子さんに囁きます。
あせる松本明子さんに、今度は笑福亭鶴光さんが
「彼氏の名前をばらされたくなかったら、4文字(放送禁止用語)を言ってみろ!」
とダブルで背中を押されてしまったそうです。
彼氏がいることがバレるのと、
放送禁止用語を発言するのとどちらが良いか一瞬考えた末、
「いっそ、4文字を言った方が楽になる」
「だったらそれくらい……」
という気分となったそうです。
それで松本明子さんは、ついに大声でハッキリと、
「オ○○コ!」と3回も連呼
したのです。
その途端、アシスタントディレクターに抱えられ、
スタジオからつまみ出されてしまった松本明子さん。
確かにある意味、有名にはなりましたが、
その後の松本明子を待ち受けていたのは、
芸能界を干されるという現実だったのです。
しかし、たきつけた張本人の笑福亭鶴光さんと片岡鶴太郎さんも、
まさか本当に松本明子さんがそんなタブーな言葉を発してしまうとは思わず、
冗談のつもりだったのでしょうが・・・
売り出し中のアイドルにとって彼氏の存在など、致命傷ですから、
当時の松本明子さんにしてみれば苦渋の決断だった事でしょう!
昭和っぽい気の毒な話ですね。
バラドルに路線変更
完全に干された松本明子さんは、約2年間も仕事が無い状態が続きました。
しかし、その後、中山秀征さんの導きもあって、
アイドルからバラエティタレントに路線を変更します。
以来、出演した「DAISUKI!」や「電波少年シリーズ」が大ヒット。
これらの番組の成功で、松本明子さんはバラドルとしての地位を確立させていきました。
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松本明子の当時の彼氏はゲイ?誰?
松本明子さんは、MCの笑福亭鶴光さんと片岡鶴太郎さんに
「彼氏の名前をバラされたくなければ….」
と、云々と脅されたのですが、
その「彼氏」というのは誰だったのでしょうか?
またゲイの噂がありますが、本当でしょうか?
松本明子の彼氏は加藤晋太?
その彼氏とは当時、
ゲイで相当有名だったアイドル・加藤晋太さん
という方だと言われています。
松本明子さんは、そんな彼氏の事をバラされるのを恐れて、
放送禁止用語を叫んだというのです。
彼氏といわれている加藤晋太さんは当時、
ドラマ『陽あたり良好』出演で人気の出た宮本洋さんを中心に、
早瀬亮さん、風見裕哉さんの4人で「キャメロット」を結成されました。
主にドラマなどで活躍されていました。
その加藤晋太さんが松本明子さんの彼氏とされていましたが、
実は2人が付き合っていたという事実はなく、
別れた理由が
「加藤晋太が新宿二丁目で働いていたから」
というのもガセ情報だったようです。
当時松本明子さんが付き合ってた彼氏は全く別の男性だったようですね。
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まとめ
その後、松本明子さんは原田龍二さんの弟で、俳優の本宮泰風さんと結婚。
芸能生活も順風満帆な松本明子さん。
松本明子さんがバラドルとして成功したので、今となってはこの「放送禁止用語事件」も笑い話となっています。
しかし、もしそのまま松本明子さんが人知れず芸能界から消え去ってたら、この「放送禁止用語事件」は悲惨な話として語り継がれた事でしょうね!
松本明子さんには今後も益々活躍を続けて欲しいですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。