お笑い芸人であるビートたけしさん。
司会業や映画監督・脚本を手掛けるなどマルチに活躍し続けていますが、
若い頃はイケメンで真面目だったのだとか?
フライデー襲撃は何があったのでしょうか?
見ていきましょう。
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ビートたけしの若い頃はイケメンで真面目?
ビートたけしの若い頃はイケメン?【画像】
第一線で活躍し続けているビートたけしさんですが、
若い頃がイケメンで真面目だったのだとか?
こちらは1972年頃、
浅草フランス座コメディアンとして、
コントの下積み時代を過ごしていた、
ビートたけしさん。
年齢は25歳。
男らしいイケメンですね。
写真などで昔のビートたけしさんの顔を知った人は、
イケメンと感じる多くいるようです。
久々に昔のビートたけし観てるけどシンプルにイケメンだしその時代の不良って感じするわ
— あもがっと (@amnemgat) June 22, 2020
昔のビートたけしイケメンかよ
— レノ (@reno1250karaju1) August 28, 2016
昔のビートたけしって福山雅治似のイケメン
— みいさん@アラド (@miisan0912) December 26, 2015
ビートたけしさんをイケメンの不良と感じる人もいるようですね。
因みに、ビートたけしさんは中学から高校までボクシングジムに通っていて、
喧嘩も強かったのだとか。
イケメンで強いとなるとモテそうですよね?
中には福山雅治似のイケメンと感じる人も。
昔のビートたけしさんからは福山雅治さんと同じ色気を感じさせるようです。
当時1979年頃から1981年には漫才ブームと呼ばれる社会現象が起こっており、
ビートたけしさんも漫才師として活動していました。
ですがなかなか注目されず、
コンビ名などを変えるなどして苦労されたようですが、漫才の内容も次第に変化。
これまでの下ネタに加え、差別用語や放送禁止用語などを取り入れ、評判を呼びました。
ビートたけしさんの代表的ギャグである
「コマネチ」もこの時期に生まれています。
芸人として活躍し始めたビートたけしさん。
1983年には俳優として大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」にも出演。
かっこいいですね。
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ビートたけしの若い頃は真面目?
現在は破天荒なイメージのあるビートたけしさんですが、
昔は真面目であったのだとか?
それは学歴から感じ取れます。
ビートたけしさんは母親の勧めで、
「明治大学工学部機械工学科」に入学。
偏差値は58と高く、ビートたけしさんが真面目に勉強し入学したことがわかります。
というのもビートたけしさんの母親である「北野さき」さんは、
大変教育熱心な方です。
ビートたけしさんは幼少期から勉強漬けの日々だったのだとか。
さきさんは、
「これからは高度経済成長期だから理工系の道に進め!」
とビートたけしさんを理系の道へと進ませました。
高校3年であったビートたけしさんは、
夏休みに1日12時間の猛勉強をしたと言います。
しかし名門大学へ入学したにも関わらず、
ビートたけしさんは大学入学後20日程度しか通わず、
クラブのボーイや、ジャズ喫茶、解体工のアルバイトに明け暮れる日々を送っていたのだとか。
これまで勉強漬けであったビートたけしさん、
受験合格という目標を達成し、何か吹っ切れてしまったのでしょうか。
大学2年生になる頃に母親のさきさんに退学の意向を話しますが、号泣され、
「2度と帰ってくるな!」と勘当されたのだとか。
これまでさきさんは昼夜問わず働き、
ビートたけしさんの大学の学費を稼いでいたと言います。
ショックは大きかったことでしょう。
そんなさきさんを尻目に、
大学時代は自分の好きな事だけをしてきたビートたけしさんはついに除籍になったのだとか。
勘当したというさきさんですが、除籍になるまでの6年間学費を払い続けたのだそうです。
またそれだけではなく、一人暮らしをしているアパートの大家さんには、
「たけしが家賃を払えなくなったら・・・私に請求して下さい」
と言っていたのだとか。
子供思いであったビートたけしさんの母親が亡くなられた通夜の席では、
周りの目もはばからず「俺を産んで良かったと思って欲しい……」
とビートたけしさんは絶句し、泣き崩れていたのだそうです。
母親の優しさは感じていたのでしょう。
若い頃苦労や心配をかけてきたこともあり、
母親の思いあっての今もテレビで活躍するビートたけしさんがいるのかもしれません。
ビートたけしは恋愛でも真面目?!
一方恋愛においては真面目であったのでしょうか?
どうもビートたけしさんは、芸人になる前は女性にモテなかったのだとか。
そして芸人になる前は7年間も付き合っていた女性もいたのだそうです。
彼女とは会う度に喫茶店でお茶をするという健全なお付き合いで、
恋愛においても真面目であったようですね。
アルバイト先のクラブの踊り子に誘惑されても、
彼女を大事に思っていたビートたけしさんは浮気をしなかったのだとか。
ですが残念ながら相手の女性に「芸人になる」
という決意を伝えたところ振られたそうです。
そしてその後、芸人として花開いたビートたけしさんは、
「金遣いと女癖の悪さが爆発」したと後に語っています。
元々真面目であったビートたけしさんですが、
真面目すぎるがあまり勉強においても恋愛においても爆発し、
現在の破天荒なビートたけしさんになってしまったのかもしれませんね。
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ビートたけしのフライデー襲撃は何があった?
ビートたけしさんは若い頃「フライデー襲撃事件」を起こし、世間を騒がせています。
「フライデー襲撃事件」とはいったい何が起きたのでしょうか?
理由① 浮気相手
1986年12月9日に、
ビートたけしさんを含む『たけし軍団』の12人が
週刊誌『フライデー』の編集部を襲撃し逮捕されているのです。
何人も率いて襲撃してしまうとはビートたけしさんの影響力を感じさせますね。
ではなぜ週刊誌『フライデー』の編集部を襲撃したのでしょうか?
当時ビートたけしさんは結婚していましたが、
女癖が悪くなったビートたけしさんは専門学校生の女性と交際していました。
その女性に対し、
フライデーの取材陣が執拗にテープレコーダーを顔に突き付けたり手を掴んで引っ張るなどし、
頸部捻挫・腰部捻傷で全治2週間の怪我を負わせたのです。
このことを遺憾に思ったビートたけしさんはフライデーを襲撃。
フライデーの編集長や編集部員に対し、
雨傘や拳によって殴打したり蹴るなどしました。
編集長や編集部員たちは肋骨骨折など1か月から1週間という怪我を負ったと言います。
このことでビートたけしさんは住居侵入・器物損壊・暴行の容疑で現行犯逮捕。
懲役6か月(執行猶予2年)の実刑判決を受け、
芸能活動も自粛し表舞台から姿を消しました。
理由② 家族
またフライデーを襲撃した理由には他にもあったようです。
ビートたけしさんの家族に対する執拗な取材も
理由の1つだったと言われているのだとか。
子供のお受験の様子が週刊誌に掲載されたことで、
受験した学校への入学を拒否されてしまったというという話も。
ビートたけしさんは、不倫とはいえ、
愛する女性のため、そして家族を守りたいと思いフライデーを襲撃したようです。
やっていることは違法とは言え、男気があってかっこいいですね。
事件の約7ヶ月後、ビートたけしさんは、
『FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島』でテレビに復帰。
大きな事件を起こしながらもテレビの世界に復帰するとは、
ビートたけしさんを待つ視聴者が多くいたからなのでしょう。
因みに、1988年には神宮草野球場で、
フライデー編集部とたけし軍団の草野球の交流試合が開催され、双方が和解したと言われています。
野球で仲直りとは青春マンガのようですね。
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ビートたけしのフライデー襲撃事件の女性のその後は?
ビートたけしさんがフライデーを襲撃する発端となった、
専門学生であった女性はその後どうなったのでしょうか?
女性は、1990年にビートたけしさんとの間にできた女の子を出産。
ビートたけしにとって第3子(娘としては2人目)になります。
事件後も女性とは関係が続いていたようですね。
怪我を負い、その仕返しにフライデーを襲撃したことは、
改めて女性はビートたけしさんに惚れ直したのではないでしょうか?
子供も産ませてくれ、療育費も払ってくれていたというビートたけしさんですから感謝してもしきれないのでは。
因みにビートたけしさんとの間にできた子は現在(2023年時点)33歳と思われます。
年齢的にも独り立ちしているかと思われますが、
ビートたけしさんという大物芸能人の娘ですから、
世間からとやかく言われぬよう静かに今は暮らされているのでしょう。
専門学生であった母親の女性も、
現在は何をされているのか不明となっています。
そういったことも影では2人をビートたけしさんが守っているのでは?と感じさせますね。
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まとめ
昔のビートたけしさんはイケメンで、勉学や恋愛においてもが真面目であったようです。
しかし爆発してしまったのでしょうか。
母親の反対を押しきり大学は除籍、恋愛においても不倫を繰り返してきたようですね。
いずれにせよ、フライデー襲撃事件はビートたけしさんの男気も感じられ、中身もイケメンであったことがわかりました。
今後もますますテレビで活躍してほしいですね。