お笑い界の重鎮として、司会業も多くこなす、ダウンタウンの浜田雅功さん。
大御所から若手まで、どんな相手であろうと場を盛り上げる能力はさすがです。
そんな浜田雅功さんは、どんな学生時代を送っていたのでしょうか。
この記事では
「浜田雅功の高校は日生学園?」
「浜田雅功の恩師や活動は?」
など、浜田雅功さんの出身高校や恩師、
部活や当時の偏差値などについて紹介していきたいと思います。
ぜひ、最後までご覧ください!
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浜田雅功の高校は日生学園で部活や当時の偏差値は?
浜田雅功さんは、一体どんな学生だったのでしょうか。
まずは出身高校から見ていきましょう!
出身高校
浜田雅功さんの出身高校は、日生学園第一高等学校。
三重県伊賀市にある、全寮制の高校です。
1979年に日生学園第一高等学校に入学したのですが、
2年生のときに、日生学園高等学校の兄弟校の
日生学園第二高等学校に転校しました。
日生学園第二高等学校は、
同じく全寮制で三重県津市にありました。
現在、日生学園第一高等学校は、桜丘高等学校。
日生学園第二高等学校は、青山高等学校になっています。
部活動
浜田雅功さんは、高校時代に部活に入っていたかの情報は分かっていません。
しかし、高校時代のスポーツに関するエピソードがあります。
浜田雅功さんは、高校3年生の時に、
競艇選手の試験を受けたことがあるのです!
これまた意外なスポーツが出てきましたよね。
当時、高校を卒業したら遊んで暮らしたいと考えていた浜田雅功さん。
競艇選手は背が低く、体重が軽いほうが有利なスポーツなので、
自分はピッタリだと思ったそう。
特にやりたいこともなかったので、
稼げるという競艇選手を目指そうと、1回だけ試験を受けに行きました。
しかし、最終的には競艇選手より、お笑いを選ぶことになりました。
それは、競艇学校の2次試験とNSCの面接の日が重なってしまったから。
競艇選手よりお笑いのほうがもっと遊べそうだと思い、
吉本のほうを選んだいいます。
高校時代は特に部活動をしていなかったかもしれませんが、
小学校、中学校時代はスポーツをやっていたようです。
小学生の頃は、2年間サッカークラブに所属。
中学生の頃はバレーボール部に所属したのですが、
練習の厳しさに1週間で辞めてしまったとのこと。
サッカークラブを2年間続けていたなら、
運動が嫌いという訳ではなさそうですね。
偏差値
当時の日生学園の偏差値について見てきましょう。
偏差値は40以下。
入学自体は難しくないようです。
入学は簡単な学校なのですが、学校生活が困難?という噂が…。
というのも、日生学園は、
やんちゃな学生たちを集めて指導する学校だったからです!
日生学園は、県外からも多くの不良たちが集まってくる全寮制の高校。
非常に厳しい指導で有名で、学生たちは徹底的に管理されていたそうです。
浜田雅功さんは、3年間この学校で過ごしたのです。
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浜田雅功はなぜ日生学園に入学した?
浜田雅功さんは、なぜ日生学園に入学したのでしょうか。
日生学園の入学理由や、日生学園の生活を見ていきましょう!
入学の理由
その理由は、浜田雅功さんがやんちゃすぎたから。
大人になった今でも、やんちゃ感がぬぐえない浜田雅功さんですが、
子供の頃は、親も先生も手を焼く悪ガキだったのです。
素行の悪かった浜田雅功さんなので、
中学校の先生に日生学園を勧められた父親は、
息子を入学させることを決めたのでした。
浜田雅功さんの素行の悪さは有名で、当時、
友達の家のドアをノコギリで切って壊したというエピソードがあるのです!
理由は、遊ぶ約束をしていた友達が来なかったから。
その腹いせに、その友達の家のドアを壊したのだとか。
他にも、何度も先生たちから様々な指導を受けていたのですが、やんちゃは止まらず。
手に負えないと感じていた先生と父親は、
全寮制の日生学園で、更生させようと考えたのです。
スパルタな高校生活
多くの不良生徒が集まる日生学園は、
その高校生活はかなりのスパルタだったようです。
今では考えられない、多くの厳しい決まりがありました。
全寮制だったため、
一日中学校の指導と決まりのもと、
生活をしなければならないのです。
具体的な厳しい決まりをご紹介します。
- 年に数回しか自宅に帰れない
- 外から寮に帰ると身体検査
- 甘いもの持ち込み禁止
- 朝4時に起床
- 男子は全員丸坊主
- トイレは素手で掃除
- 大声を出しながら床掃除
- 朝と放課後のランニング
- 新聞・雑誌・テレビ・ラジオ禁止
- 男女交際禁止
- 40度の高熱が出ても市販の薬で済まし、病院禁止
この他にも、もっとあるらしいのですが、
これだけでもかなりの厳しさですよね!
そして日生学園は、当然ですが、
上下関係も非常に厳しかったのです。
先輩が後輩の面倒を見るのですが、
後輩の成績が悪かった場合、連帯責任として先輩にも、
正座やランニングなど、ペナルティが課せられます。
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【画像】高校時代の浜田雅功
厳しい日生学園に入学した浜田雅功さん。
当時の画像が見つかりました。
その画像はこちら!
しっかり丸坊主にし、制服を着用して整列しています。
険しい表情が、当時のスパルタ生活を耐えていることを物語っていますね。
脱走する生徒
日生学園のあまりにも厳しすぎる、
脱走する生徒が後を絶たなかったそうです。
浜田雅功さんも、高校1年生の時に、脱走を試みたひとり。
現在の相方、松本人志さんに電話で助けを求めたといいます。
お金を持ってきてくれ、と言われた松本人志さん。
空腹だった浜田雅功さんは、
うどん屋でアツアツのうどんを、あっという間に平らげたそうです。
脱走に成功した浜田雅功さんですが、
親と相談後、学校に戻ることになります。
脱走するくらい辛かった場所に戻るのは、相当な勇気と覚悟ですよね。
実は日生学園には、
同じくお笑い芸人の今田耕司さんも入学しているのです。
浜田雅功さんが高校3年生の時に入学してきました。
しかし今田耕司さんは、あまりの厳しさに耐え切れず、
1年後脱走し、そのまま中退していています。
今田耕司さんは、日生学園の当時を振り返って、
「刑務所」だったといいます。
そんな高校をしっかり卒業した浜田雅功さんの根性は、凄まじいものがありますね!
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リーダーシップの原点
厳しい生活を送りながら、浜田雅功さんは、
高校3年生の時、副寮長を務めることになります。
このポジションは、他の生徒からも一目置かれる存在。
浜田雅功さんは、下級生の失敗に連帯責任を問われたことがあります。
その時のペナルティは、コンクリートの床に10時間正座というもの。
このようなペナルティを受けながらも、
副寮長を務めあげた浜田雅功さんだからこそ、
今の芸能界でのリーダーシップがあるのでしょう。
スパルタ指導は廃止
ここまで紹介した日生学園は、現在は名前も変わっており、
教育指導方針も大きく変わっています。
現在は、スパルタ指導は廃止され、「普通」の高校になっています。
「日本一厳しい学校」とも言われた日生学園でしたが、
厳しすぎる指導や、学園内に広がる体罰やいじめが問題となりました。
2000年以降は、「進学校」へ転換するために、
大学進学に向けた学習指導にも力をいれるようになりました。
浜田雅功さんが在籍していた時代から、大きく変貌をとげたようですね。
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浜田雅功の恩師はボッコ先生?
芸能界では、後輩芸人たちから一目置かれ、恐れられている浜田雅功さん。
浜田雅功さんも、頭があがらない高校時代の恩師がいるようです。
恩師の名前は、若杉茂樹先生。
若杉先生は、通称「ボッキチ先生」と呼ばれていたようです。
浜田雅功さんの検索ワードで「ボッコ先生」とありましたが、
調べたところ、「ボッキチ先生」が正解でした。
大変お世話になったそうですが、
当時とても怖く、苦手だったと話す浜田雅功さん。
ダウンタウンの番組で、サプライズ登場した若杉先生。
その姿に、驚く浜田雅功さんはこう語ります。
「この人本当に怖かった。一番苦手だったんです。」
「僕、松葉杖でどつかれたことあるんです」
引用:YouTube
松葉杖でどつかれたとは、それは相当怖いですね!
若杉先生には、大人になった今でも頭があがらない様子。
共演した時のボッキチ先生はとても優しそうな笑顔ですが、
あの浜田雅功さんが恐縮しているので、本当に怖い先生だったのでしょうね。
オドオドした浜田雅功さんの様子が、とても新鮮です!
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まとめ
子供のころからやんちゃだった、浜田雅功さん。
日本一厳しい学校、日生学園で3年間過ごした、つわものなんですね!
過酷な高校生活のおかげで、芸能界での大成功があるのかもしれないですね。
最後までお読みいただきありがとうございました!