お笑いコンビ・髭男爵の山田ルイ53世さん、
「一発屋」のイメージがありますが、
近年は芸人だけでなく文筆力も評価され、
執筆やコメンテーターなどの仕事などもされています。
そんな山田ルイ53世さんの高校大学はどこになるのでしょうか?
中学の偏差値は74で頭いい?
見ていきましょう。
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髭男爵の山田ルイ53世の中学の偏差値は74で頭いい!
髭男爵の山田ルイ53世の中学の偏差値
髭男爵の山田ルイ53世さん、
中学の偏差値が74とのことですが本当でしょうか?
山田ルイ53世さんの中学校は、
関西の私立の名門「六甲学院中学」になります。
現在は偏差値66だそうです、それでも高いのですが、
山田ルイ53世さんが入学した当時は
今よりももっと合格するのが難しかったといいます。
しかも中学受験となると早い人では、
小学低学年頃から勉強する人もいる中、
山田ルイ53世さんは小学6年生の夏に自ら中学受験を決意し、
半年間ほぼ独学で勉強し合格しています。
小学生の頃の山田ルイ53世さんは成績も優秀で、
小学3〜4年生に所属していたサッカー部でも、
入部当初からレギュラーとして活躍していました。
人望もあついことから児童会長にも選挙で選ばれ、
バレンタインには女子からチョコレートをたくさんもらうなどしていたのだそうです。
私立の名門「六甲学院中学」にも合格し、
周囲からは羨望のまなざしを向けられていたのではないでしょうか?
同級生は公立に進学する子がほとんどで、親も大変喜んだといいます。
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中学時代のあだ名
通っていた個人塾の先生は、
「君も山田君になれる」と勧誘のビラを配っていたほどなんだとか。
「神童」とも呼ばれていたそうです。
中学へ入学してからも、
1年生の三者面談では先生から
「山田くんは東大に行けます」と太鼓判を押されるほど。
ですが、ふとエリートが揃う中学校ではお昼の時間、
友達のお弁当を見るとサイコロステーキが入っているといったこともあったそうで、
『ウチでは晩ご飯でも食ったことないのに』と格差を感じることもあったのだとか。
しかし、中学進学後も学年で10番以内の成績をキープ。
サッカー部ではレギュラーにも選ばれ、
中学入学後の山田ルイ53世さんの人生は順風満帆でした。
山田ルイ53世さん、やはり頭が良かったようですね。
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髭男爵の山田ルイ53世の高校大学はどこ?
高偏差値の私立中学生へ入学した山田ルイ53世さん、
これは高校や大学も名門校へ進学したのでは?
と思われますがどうでしょうか?
高校は進学してない
なんと山田ルイ53世さん、
中学の途中から引きこもりとなり、高校へは進学していません。
順風満帆だった山田ルイ53世さんに何があったのでしょうか?
それは山田ルイ53さんが中学2年生の頃、
登校中に大便を漏らしてしまったことからはじまります。
兵庫県の三木市出身である山田ルイ53世さんは毎朝5時に起き、
満員電車の中通学に片道約2時間かけていました。
そんな中大便をするタイミングを逃してしまったのでしょう。
学校の最寄り駅から向かう道のりで大便を漏らしてしまいました。
幸いなことに誰にも見られることなく、
学校のグラウンドのトイレに入ってパンツを洗って絞り、また履いたそうですが、
3時間目の授業中クラスがざわつき始めたのだそうです。
それまで臭っていなかったパンツが夏の暑さで乾き、匂いが復活してきたのだとか。
4時間目が始まる前に山田ルイ53世さんは、誰にも言わずに家に帰ったのだそうです。
そしてこのことがきっかけで、夏休み以降は学校へ行けなくなり引きこもりに。
当時の山田ルイ53世さんは、
上記でも述べた通り片道2時間かけて登下校してるうえ、サッカー部でも活躍し、
帰宅後には大量の宿題をこなすというハードな日々を過ごしていました。
「優等生の山田君」と周囲からは思われていた山田ルイ53世さん。
自分は「一つのミスも許されないキャラ」と勝手に思い込んでいたそうです。
ですのでこの事件があったことで、山田ルイ53世さんこ糸がぷつんと切れてしまったのだとか。
明日は宿題やる、来週こそ、来月こそと毎日が壁になり、
どんどん学校へ行けなくなってしまったのだそうです。
当時はスマホやパソコンも持っていなく、
山田ルイ53世さんにとっての外界との接続手段は、
小学6年の時に買ってもらった天体望遠鏡だったのだとか。
それで自分の部屋から通学路などを見ていたのだそうです。
『同級生の同級生のあいつデカくなったな』
『あいつとあいつ付き合ってんのか?』
など望遠鏡で情報収集していたのだとか。
ですがかえって山田ルイ53世さんには『今の俺は何やってんだ』と落ち込んでしまう日々。
高校時代をそんな風に過ごしてきた山田ルイ53世さん。
大学には進学したのでしょうか?
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大学は進学した?
なんと引きこもりは20歳まで続いたと言います。
ある日、父親の転勤で移り住んだ広島の向島で、
「成人式」のニュースがテレビで流れたのだそうです。
当時、心のどこかで『俺は優秀だから、いつでも追いつける』と
自身をごまかしていたところがあったそうですが、
「成人」という言葉がパワーワードに感じた山田ルイ53世さん。
このままでは同世代が射程圏外に行ってしまう、
何とかしなければとまず部屋から足先だけとりあえず出してみる、
玄関まで行けたら靴に足を入れてみるからはじまり、
約6年間の引きこもり生活から脱出できたのだそうです。
そして山田ルイ53世さんは、
大学入学資格検定(現在の高卒認定試験)を受けます。
そして見事「愛媛大学法文学部夜間主コース」に合格。
因みに現在の愛媛大学の法学部の夜間主コースの偏差値は52〜55になります。
大検については、参考書を使って家で必死で勉強したのだとか。
ですが山田ルイ53世さんはさん曰く、そこまで苦労せずに合格したのだそうです。
愛媛県では愛媛大学生は天才扱いされると言いますから、
さすが「神童」と呼ばれていた山田ルイ53世さんですね。
ですが高校時代引きこもっていた山田ルイ53世さんが、
なぜあまり苦労しなかったかというと、
中学が中高一貫の進学校だったことで、
不登校になる前に高校1年生くらいまでのことを教わっていたのだそうです。
さすが名門校と言われる高校ですね。
引きこもるまでに勉強していた蓄積が山田ルイ53世さんにはあったようです。
また受験する大学は、現地で受験しなくてもいいセンター試験だけで受験できる大学という基準で「愛媛大学」を選んだといいます。
センター試験用の勉強で、進研ゼミや大学受験ラジオ講座を利用。
またNHKラジオの基礎英語を聞いて英語を勉強していたのだとか。
当時はビジネス英会話みたいなのも放送していたのだそうです。
山田ルイ53世さん、
元々英語が得意であり好きだったのだそうですが勉強の仕方が上手ですね。
そして無事大学生となった山田ルイ53世さんですが、
たまたま先輩に誘われ、学園祭で漫才をやったことがきっかけでお笑いの道に進むことに。
ですが漫才コンビも組んだものの残念ながら解散。
そして大学2年生の途中で退学し、上京。
NSC東京校へ入学しています。
詳しい山田ルイ53世さんの学生時代は『ひきこもり漂流記』に書かれているそうです。
こちらには挫折しようとも人生はやり直せる、
山田ルイ53世さんなりのやり直しのルールを知ることができるのだとか。
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髭男爵の山田ルイ53世の学生時代のエピソード4選
髭男爵の山田ルイ53世さんは学生時代は順風満帆から始まり、
引きこもり退学などして過ごしてきました。
学生時代のエピソードを見ていきましょう。
①中学受験を考えたきっかけは細野君
小学生時代を順風満帆に過ごしてきた山田ルイ53世さん。
当時の山田ルイ53世さんは、
学校全体で目立ったリーダー的存在であったことから、
他人を「主役」と「脇役」に分けて考えていたのだそうです。
そんな中、脇役ですらないエキストラのような非常に影の薄い存在だったという細野君が、
小学6年生の夏に休み時間、教室の隅で一人机に向かって勉強していたのだとか。
細野君が日能研に通って中学受験の勉強をしていることを聞いた山田ルイ53世さんはm
『格好いい』と感じ、受験を決意したのだそうです。
後に山田ルイ53世さんは、当時のことをこのように話しています。
本来は自らの情熱や夢や希望で自分を形づくるのが一番いいと思うんですけど、「人にほめられたい」と、外からの評価で自分を形成するような考え方になっていた。
化石を発見した少年が新聞に載っていたときに、本来なら小学生が自分で化石を見つける、その情熱に感銘を受けるべきやのに、僕は「新聞に載ってええなあ」と思ってしまう引用元:
https://kodomoe.net/serial/interview/28226/
周囲からの評価を気にするあまり、
後の大便事故が山田ルイ53世さんの人生を狂わせたようですね。
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②中学受験時の勉強前のルーティーンワークは30個
山田ルイ53世さんが、中学受験をした際には、
勉強前のルーティンワークが30個ほどあったのだとか。
部屋中を掃除し、自分にも粘着テープのコロコロをかけて綺麗にし、
ノートや本をきちっと揃えるなど、
「きちんと生活するんだ」と強く意識してやっていたのだそうです。
完璧主義で潔癖症みたいなところがあったのだとか。
中学2年生の夏休みの宿題は、
はじめは1週間あれば全部やり終えると思っていたそうですが、
多すぎるルーティンのせいで勉強を始めるまでにたどり着かず上手く進まなかったのだそう。
完璧主義なゆえに1つ崩れると上手く事が回らなくなってしまっていったようです。
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③中学卒業後は「働け」と親から言われる
なんとか中学は1年多く在籍し、
卒業できた山田ルイ53世さんでしたが、
その頃の親からは「家から出て働け」と言われていたのだそうです。
「働かざるもの食うべからず」という言葉を本当に聞いたのは、
人生で親からだけなのだとか。
確かに実際人から言われることってあまりないかもしれませんね。
ですが山田ルイ53世さんは、
働くよりもまだ大学受験の方が良いと当時は思っていたそうです。
もう1回勉強したい、学業の方で評価されたい
という気持ちがずっとうっすらあり働かずにいたのだとか。
山田ルイ53世さん、勉強してもむくわれない人もいる中、
やはり頭が良かったのでしょうね。
④学生時代学校へ行かずアルバイトをしていた
山田ルイ53世さんは、
働いていなかったとは言え、
引きこもり期間中アルバイトをしたこともあったのだそうです。
しかし「社会の中に入っていない」という感覚が強く、
やはり引きこもり状態となってしまったのだとか。
当時のことを後にこのように話しています。
「よく、歯車になりたくないとかね、親の敷いたレールの上をなんていう話がありますけども、もう、ものすごいやっぱ歯車になりたかったですよね、そん時ね。
ジョギングとかバイトもそうやし、たまにちょっと外出るっていうのも、ほんとに息止めて外出てるみたいな、要するに毒ガスが充満してるところに息止めて、お札かなんかとってきて帰ってくるみたいな感覚でやってるから、もちろん全然社会に参加してるような感覚は全くないですし、やっぱり、しんどいですよ。」引用元:
https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/95/
ずっとしんどい気持ちを抱え、引きこもり生活をしていたようですね。
引きこもりから脱出できそして今の山田ルイ53世さんがいて、
過去の経験も誰かの役に立っている。
本当に良かったですね。
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まとめ
お笑いコンビ・髭男爵の山田ルイ53世さんは名門中学に入学するも、引きこもりとなり、高校へは行かず大学は大検で入学し中退していましたね。
山あり谷ありの学生時代を過ごした山田ルイ53世さん。
しかしその経験があったからこそ、人生はやり直しできることを伝える書籍を出版するなど、人の心を動かすことのできる芸人さんと現在はなっています。
これからも益々活躍していってほしいですね。