漫才もコントもトークも何でも出来る「かまいたち」の2人。
どっちかというと、相方の山内さんが目立ち気味ですが、
実は濱家さんも、なかなかのキャラの持ち主!
幼少時代は貧乏生活を送り、夜逃げをして、
さらにヤンキーあがりとの話です。
今の見た目からは想像出来ませんよね。
今回は元ヤンキーで昔グレてた!?
壮絶な生い立ちをもつ濱家さんを紹介します。
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かまいたち濱家は昔グレてた?
かまいたち濱家さんは昔グレてました。
今は面影がありませんが、芸人になったばかりの大阪時代は、
劇場の番長と呼ばれていたそうです。
当時の画像はこちら。
よくネット上に出回ってる写真がこれですね。
この写真を見たダウンタウンの松本さんが一言、
「嫌い」って言ってました。
濱家さんこの一言に結構ショックを受けてました。
実は濱家さん中学時代からグレていたそうです。
当時の異名が「東淀川の毒蛇」と呼ばれていたそうです。
異名がつくってすごいですよね!
そんな東淀川の毒蛇こと濱家さん、
母親がしょっちゅう学校に呼ばれるほど荒れていたそうです。
理由はもちろん、学校で問題を起こしたからです。
高校時代では、ヤンキーっぽく制服を着こなしたり、髪の毛を染めていたらしいです。
でも、暴走族に入ったりとか、
犯罪に手を染めるようなヤンキーではなかったようです。
また、野球部のキャプテンをやったり、
体育祭の応援団長をやっていた謎なヤンキーです。
今もそうですけど、実はマジメなんですね!
これは学生時代では無いのですが、パンチパーマですね。
映画の撮影の仕事で、パンチパーマにさせられたらしいです。
作品名は「犬の首輪とコロッケと」です。
この時期は、ほとんどウケなかったそうです。
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かまいたち濱家の昔の武勇伝は?
今は、昔の武勇伝を封印しているそうです。
理由は、コンプライアンスが厳しいこのご時世と、
一番の理由は、今の若い人に共感を得られないからだそうです。
例をあげると、1980年代に尾崎豊が流行ってた時代に、
名曲、15の夜の「盗んだバイクで走り出す~」と聞いた若者が、
当時は「かっこいい」と言っていましたが…
今の時代の若者に聞かせると、
バイク盗まれた奴の気持ちを考えろと、反発的な意見が多かったそうです。
今と昔の人の考え方って全く違うのですね。
濱家の昔の武勇伝は?
インタビューで答えたこと
『Kodomoe』のインタビューで
学生時代、ヤンチャになっていくのは家庭環境も影響していた?
の質問対して、濱家さんはこう答えていました。
昔の写真が金髪やったりピアス開けてたりするから言われるんですけど、別にヤンキーとかグレたとかではないんですよね。
だから、あんまり反抗期っていう反抗期もなくて。
学校で先生と揉めてとか、つかみ合いのケンカになったり、そんなのはあったんですけど。
でも暴走族に入ったりとか、そういうのはなくて。
チャリンコをパクッたりもないし、
どっか万引きに行ったり、そんなんもないですし。
ただ、ちょっと気性が荒いほうだったんで(笑)。
引用元:https://kodomoe.net/serial/interview/37720/
気性が荒いがちょっと引っかかりましたが、
目立ちたかったっていうことですよね。
正義感が強い
酔っぱらいながら、
コンビニ強盗を追いかけ捕まえた
という過去のお手柄エピソードもテレビで披露したことがあります。
若手時代はトゲトゲしかった?
今のかまいたちの前に組んでいた相方が先輩のお酒を断った際、
「先輩が飲んでるんだから」と相方をガン詰めしたそうです。
これには同席していたほかの芸人も引いてしまったのだとか。
他にも
「楽屋で濱家さんの前を横切ってはいけないという暗黙のルールがあった」
「濱家さんは面白くないと思う後輩を無視する」
など数々の怖い素顔を他の芸人から暴露されています。
本人が言ってましたが、
関西ではおもしろい奴がいいって言ってましたから、
そういう意味では、前に出て目立たないと意味がないって感じだったのでしょうね。
相方の暴露
相方の山内さんによると、
「金髪で、ピアス5つぐらいあいてた」
「授業中、後ろに寝袋持ってきて寝袋で寝てたりして」
など、高校時代にしていたそうです。
教室で寝袋で寝るなんて…ヤンキーですね。
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かまいたち濱家の幼少期が壮絶!家族と夜逃げしてた?
かまいたち濱家の幼少期が貧乏で壮絶!
マジメな濱家さんですが、幼少期は壮絶でした。
まずお父さんが、反社会的な人でほとんど家には帰ってこなかったそうです。
さらに、借金を作るだらしない性格だったらしく、
よく借金取りが自宅に来ていたそうです。
借金取りが家に来るって、それだけでもきついですね。
そんな貧乏生活を送っていた濱家さん。
Kodomoeのインタビューで、
自分が貧乏だと気付いた瞬間は?に対する質問で、こう答えてました。
ウチの相方がよく「こいつ習いごと1回もしたことないんですよ」って言うけど、そんな珍しいこととも思ってなくて。
比較したときにわかったのは、小学校のときに仲いい友達が少年野球やってたんですよ。「みんなやってるから僕も行きたい」って言って、「じゃあ見学だけ行っといで」って言われて、見学に行って申込用紙をもらって帰って。
で、なんとなくうやむやになって、また「行きたいねんけど」「ほんまに行きたいなら見学行っといで」って、僕、見学に3回行ったんですよ!
そのときに、もしかしたらっていうのはあったんですけど(笑)。
引用元:https://kodomoe.net/serial/interview/37720/
これ、最終的にうやむやで終わったそうです。
少年野球に参加できるお金がなかったようです。
家族と夜逃げしてた?
濱家さんの幼少時代、お父さんが反社会的な方で
借金も作るだらしない人だったそうです。
自宅にも借金取りが来る日々でした。
濱家さんが小学2年生の時に離婚して、
夜逃げ同然に引っ越したそうです。
そこから、母と4歳年上の姉の極貧3人暮らしが始まりました。
本人がインタビューで、
たぶん生活保護もらえてたけど、母親がもらわずに働いていたから、
あまり家にいなかったそうです。
晩御飯がすいとんであったり、
姉の服をおさがりで着る貧乏生活を送っていましたが、
3年ほど経った濱家さんが11歳の時、母親がサラリーマンの男性と再婚しました。
これで、貧乏生活に終止符を打てました。
今はタワーマンションに住んで、豊かな生活をしてるそうです。
本当、よかったですよね!
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まとめ
濱家さんは昔グレていましたが、
暴走族に入ったり、
犯罪に手を染めるような悪い人ではありませんでした。
武勇伝もほとんど出てきませんでしたが、
話を聞いてると、ただ目立ちたかった。
ってだけでしたね。
幼少時代は、借金取りが自宅に来るというかなりキツイ体験です。
最終的に母親が普通の男性と再婚出来て、幸せになれてよかったですよね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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