心地よいテンポから繰り出されるカミナリのネタは、
茨城弁から始まるフレーズは一度聞いたら忘れられませんね。
カミナリ石田たくみさんは運動神経抜群でバスケの実力もあり、
さらには英語教師の資格も持っていて、
お笑い芸人の中でも異色の経歴の持ち主です。
そこでカミナリたくみさんの学歴についてや、
お笑い芸人になるための親との約束などを紹介していきます。
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カミナリ石田たくみの大学高校はどこ?
カミナリ石田たくみの高校
カミナリ石田たくみさんは茨城県立鉾田第一高校出身です。
この鉾田第一高校の偏差値は55で、
中の上くらいの高校になります。
鉾田第一高校は1992年に開口した県立校で、
これまでに多くのプロ野球選手を輩出したことでも知られています。
たくみさんはバスケットボールのスポーツ推薦で入学していて、
高校時代はバスケ部の主力として活躍していました。
中学時代もバスケをしていましたが、
他のチームメイトが強豪校に進む中、
カミナリたくみは地元の高校に進学しています。
また、たくみさんの実家はメロン農家なので、
高校時代は実家のメロン作りを手伝っていたそうです。
さらに実家は7LLDKの和風な大豪邸なので、
メロン農家としての売り上げもスゴイのは間違いなさそうですね。
カミナリ石田たくみの大学
カミナリ石田たくみさんは高校卒業後は、
帝京大学に進学していますが、
大学に進学したのもお笑い芸人になるためというのは驚きです。
帝京大学の教育学科に進学したのは、
「芸人を目指すための親との約束」だったそうで、
芸人になりたいと親に打ち明けるも諸手を挙げて賛成となりません。
そこで条件として、
「大学を卒業し教員免許とか何か資格が取れたら自由にしていい」
との条件を、たくみさんは忠実に実行し現在に至ります。
中学時代はバスケで全国大会に出場するほどの実力で、
大学に進学し教員免許も取得している芸人は貴重な存在ですね。
何事にも努力して夢を掴んできたたくみさんは、
どんな苦境の中でも光を見つけて走り続けれると思います。
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カミナリ石田たくみの教員資格の科目は英語!
カミナリ石田たくみの教員資格の科目は英語!
カミナリ石田たくみさんは教員免許を持っています。
その科目は英語なんです。
英語教師の資格を取得したのも
芸人になるためというのは驚きですね。
親から不安定なお笑い芸人の仕事をする条件として、
何か資格を持ってほしい親の気持ちは当然だと思います。
実はたくみさんの母親も学校の先生ということもあり、
もし芸人として失敗したら、
面白い学校の先生になると考えていたそうです。
それにしても明確にお笑い芸人になりたい言う気持ちを抱えつつ、
きちんと教員免許も取得するとことは本当に尊敬します。
ちなみに両親の顔画像はこちら。
母親は小学校教師の免許を持つ傍ら、
父親のメロン農家でお手伝いしているようですね。
なぜ英語を選んだ?
大学受験のときには
バスケを引退してから勉強するとの考えながら、
今までの受験と違い、センター試験は厳しかったと話していました。
しかしカミナリたくみさんは必死に勉強する日々を過ごし、
センター試験で引っかかったのが帝京大学といった感じです。
また帝京大学で教員免許も取れて、
卒業単位も取れる学科が英語か社会で、
カミナリたくみは英語を選択します。
勉強法はとにかく学習ノートに書き溜めることで、
ノートが一冊書き潰されることがモチベーションに繋がったそうです。
また勉強のスイッチを入れるため学生時代は図書館に行き、
一角の学習スペースで勉強をすることで効率アップしていました。
何事も必死に頑張るにも「やり方」が重要で、
頑張るにしても様々な方法があり、
自分の適している方法を見つけることが大切です。
諦めることとスルーすることは違うとの意味が理解できたとき、
勉強することが楽しくなるとも話していますね。
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カミナリ石田たくみはバスケの実力もすごい?
石田たくみさんは学生時代からバスケに打ち込んでいて、
中学生の時には全国大会に出場するほどの実力でした。
バスケ部での練習でも
常にマイルールを決めていたそうで、
確固たるルールを決めて目標に向かう姿は現在の姿と重なります。
たくみさんがバスケを始めたきっかけは4歳年上の兄の影響で、
自宅の庭にバスケットゴールがあり、
兄と一緒に遊ぶ小学3年からバスケを始めています。
たくみさんが所属していたミニバスのチームは
県有数の強豪チームでしたが、
チームのスローガンは「バスケを楽しむ」でした。
もちろん勝負ごとなので勝ち負けは重要な要素ながら、
勝っても負けても「楽しむ」という気持ちは
たくみさんの原点だと思います。
たくみさんはシュートは得意じゃないと話していますが、
ドリブルやパスの他にディフェンスが得意だったそうです。
バスケを通じて挫折も経験したことが大きな糧となり、
悔しさから本気で頑張って上手くなるとの気持ちは
下積み時代と重なる部分が多いと話していましたね。
もしたくみさんがバスケをしている時代にBリーグがあったら、
芸人ではなくプロを目指していたと断言しています。
たくみさんにとってバスケは常に「本気」になれるもので、
当時はバスケ以外のことで本気になれなかったそうです。
しかしお笑い芸人になって挫折を経験したとき、
バスケをしていたときに感じた情熱を感じた
と話していた姿が印象的でしたね。
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まとめ
カミナリたくみさんは結婚し子供の父親でもありますが、確固たる信念を持ち子供に教育する姿はお笑い芸人とは思えませんね。
明確に大学卒業後はお笑い芸人になルトの目標を持ち、大きな夢に向かって努力し本当にお笑い芸人になった姿は見習う部分が多いです。
下積み時代には家族を守るためバイトと芸人を両立できたのも、心の底からお笑い芸人が好きだからこそですね。