2023年6月2日、
往年の名司会者である上岡龍太郎さんの訃報が飛び込んできました。
今回はそんな上岡龍太郎さんにスポットをあてて、
上岡龍太郎のプロフィール
上岡龍太郎の妹はミキの母親!甥っ子と叔父の関係!
上岡龍太郎の嫁はどんな人?馴れ初めは?
以上3つのテーマについて調べてみました。
どうぞ最後までお付き合いください。
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上岡龍太郎のプロフィール
2023年5月19日に肺がんと間質性肺炎で亡くなった上岡龍太郎さん。
上岡龍太郎さんは、元漫才師、元司会者、元タレントで、
2000年に芸能界を引退しています。
上岡龍太郎のプロフィール
- 本名:小林龍太郎(こばやし りゅうたろう)
- 別名義:横山パンチ、伊井パンチ
- 生年月日:1942年3月20日
- 没年月日:2023年5月19日(81歳没)
- 出身地:京都府京都市左京区吉田中大路町
- 血液型:AB型
- 身長:165cm
- 最終学歴:京都西高校
- トリオ名:漫画トリオ(1960年 – 1968年)
- 相方:横山ノック、横山フック
上岡龍太郎さんは、1942年3月20日に
京都府京都市左京区で生まれました。
本名を小林龍太郎さんといいます。
芸名の「上岡」は、
父親は弁護士の小林為太郎(1908-1985)さんですが、
婿養子であった父の旧姓から取っています。
長男は映画監督の小林聖太郎さんです。
上岡龍太郎の経歴
バンドボーイを経て、トリオ芸人「漫画トリオ」へ
上岡龍太郎さんは、
高校在学中からロカビリーバンドに興味を持ち、
卒業後はバンドボーイや音楽喫茶などで司会をしていました。
また、一時期バンド活動も行っています。
1960年、横山ノックさんに誘われ、
トリオ芸人「漫画トリオ」を結成し、
「横山パンチ」の芸名でデビューしました。
1968年、ノックさんの政界進出に伴いトリオを解散。
その後、一時「伊井パンチ」を名乗ったあと、
芸名を「上岡龍太郎」に改名し、
テレビの司会などで主に関西圏で活躍していました。
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ナンバーワン司会者へ
司会者としての上岡龍太郎さんは、
“立て板に水を流したような流暢な口調と理路整然とした語りくち”で人気を博しました。
関西テレビの人気番組「ノックは無用!」や読売テレビの「鶴瓶上岡パペポTV」など、
上岡龍太郎さんは数々の高視聴率番組に出演。
その名声は今もなお、
多くの人々の記憶に深く刻まれており、
彼は関西の伝説的な芸人として称されています。
特に、朝日放送「探偵! ナイトスクープ」は、
深夜枠ながら視聴率30%台を連発したお化け番組で、
初代局長として視聴者からの奇想天外な依頼に対して、
知性的な言葉と芸人らしいボケを両立させたフリートークで魅了しました。
人気は全国区へ
そんな上岡龍太郎さんは、
関西ナンバーワン司会者とも称されていましたが、
東京の芸能界に対しては、
東京は笑いの使い捨て文化
東京で売れるというのは、東京の枠組みに入ってしまうことや
などと批判的な発言をしていて、
絶対東京には行かへん
とも公言しており、東京進出を避けていたようです。
しかし、1988年から大阪制作の「鶴瓶上岡パペポTV」が
日本テレビ系で全国放送されるようになり、
上岡さんの知名度は全国区になりました。
1990年には、
フジテレビ系の「上岡龍太郎にはダマされないぞ!」や
日本テレビ系の「EXテレビ」などの番組が始まり、本格的に東京進出を果たしています。
本人が望まなくても、上岡龍太郎さんの実力と人気は目を引くものでした。
そのため、東京のテレビ各局は彼の才能に興味津々で、
そんな上岡龍太郎さんを放っておくはずはありませんよね!
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上岡龍太郎の芸風
上岡龍太郎さんの芸風は、なんといっても、
流暢な口調と理路整然とした語りです。
そして切れ味鋭い毒舌を吐きつつ芸人として、
バカを演じてオチをつけるというスタイルでした。
上岡龍太郎さんのフリートーク芸は、
そのDNAが島田紳助さんや松本人志さんに
受け継がれているとも言われています。
演芸関係者からは、
「一代限りのフリートーク芸。伝説の芸人です」
と評価されています。
また、上岡龍太郎さんは司会業以外にも、
幅広いジャンルの知識も披露していました。
音楽や演劇にも造詣が深く、作詞家や劇団主宰としても活動していました。
そんな上岡龍太郎さんは、
多くの弟子や後輩を育てたことも評価されています。
上岡龍太郎の弟子たち
- ぜんじろう
- 大空テント(2016年に死去)
- 九十九一
- 野口小太郎
- 赤滝圭一郎
- 江本龍彦
- 中西一一
- 屋部芯太郎
- 加藤吉治郎(弟子吉治郎)
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芸能界引退
上岡龍太郎さんは、
順風満帆な芸能生活を謳歌していた55歳を迎える1997年に、
自分の芸風が時代錯誤を迎えていることを悟り、
「実力の限界を知るに至った」
と芸能生活40周年を迎える2000年に引退する事を宣言します。
上岡さんはジョークを交えながらも、
芸人は本来的に反面教師として扱われるべきであり、
一般人があこがれるべき職業ではないと何度か警告していたのです。
特に1990年ごろから芸人という職業になりたがる人々の増加に対して、
上岡さんはかなりの危機感を抱いていたようです。
人気絶頂のさなかだっただけに、世間には大きな衝撃が走りました。
そして、言葉通り2000年4月25日に大阪で開かれた
『上岡龍太郎引退記念 かわら版 忠臣蔵』公演を最後に58歳で完全に引退しました。
芸能界引退後
引退後は一時期海外に移住していたそうですが、
主に関西の豪邸で一般人として暮らしていたとのことです。
基本的にメディアへの露出はないものの、
たまに著名人の友人・知人の冠婚葬祭やゴルフコンペなどに
顔を出した際に取り上げられることがある程度でした。
2007年に開かれた「横山ノックを天国に送る会」では「横山パンチ」として登壇、
“献杯の挨拶”を送っています。
その挨拶がこちらです。
ノックさんへの深い愛情を抱きながら、
ノックさんを上げたり下げたりとユーモアを交えて挨拶をする上岡さん。
その言葉選びやトーンは、まさに彼ならではの“一級品もの”です。
こんな素晴らしいスピーチを書面も見ないでできるのは、
上岡さんかタモリさんぐらいではないでしょうか!
このほかにも、
喜味こいしさん(2011年)、立川談志さん(2011年)、桂米朝さん(2015年)
といった大御所たちの葬儀・お別れ会にも出席しており、
マスコミのインタビュー取材にも応じています。
訃報
2023年5月19日、上岡龍太郎さんは81歳の生涯を閉じ、天国へ旅立っていきました。
その訃報は、先日6月2日に公表されました。
上岡龍太郎さんの死因は肺癌と間質性肺炎であり、
長い闘病生活の末にこの世を去ったことが明らかになりました。
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上岡龍太郎の妹はミキの母親!甥っ子と叔父の関係!
上岡龍太郎とミキの母親は異母兄妹
上岡龍太郎さんは、
人気お笑いコンビ「ミキ」の昴生さん、亜生さんの伯父
としても知られています。
「ミキ」の2人の母親は上岡さんの妹で、異母兄妹の関係です。
上岡さんの母親は上岡さんが小学校4年生の時に亡くなり、
その後父親が再婚してミキの母親が生まれたそうです。
上岡龍太郎は「ミキ」を応援していた
「ミキ」の2人は、
自分たちの力で売れたいという想いから、
上岡さんと親戚関係にあることを隠していたそうです。
また、「ミキ」の2人は、
上岡さんとは小さい時に2回くらいしか会ったことがなく、
芸人になってからは一度も会っていないと話しています。
実際、「ミキ」の2人も、そして母親も上岡さんの連絡先を知らなかったそうです。
そんな上岡龍太郎さんと「ミキ」の親戚関係が有名になるきっかけとなったのは、
「ミキ」が、笑福亭鶴瓶さんの番組『AーStudio』に出演した際のことでした。
この番組において、笑福亭鶴瓶さんが事前に上岡龍太郎さんに電話で聞いた話として、
「漫才の型としては安定している」とミキの漫才を評価していたと語っています。
さらに、鶴瓶さんは、
『ミキをよろしゅう頼むわな』って言っていたんですよ。あんなこと言っていたことはないですよ
と、上岡さんがミキ兄弟を応援していたことを明かしています。
上岡龍太郎さんがミキ兄弟を評価し、支えていたことは、
彼らにとって大きな励みとなったことでしょうね。
芸人としての道を歩む彼らにとって、
上岡さんの存在は大きな影響を与えたのかもしれませんね。
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上岡龍太郎の嫁はどんな人?馴れ初めは?
上岡龍太郎の嫁はどんな人?
上岡龍太郎さんの嫁は、8歳下の「友岐子」さんです。
2人は1969年に結婚しています。
「友岐子」さんのプロフィールはこちら。
- 嫁:小林 友岐子(こばやし ゆきこ)
- 1969年(当時19歳)上岡龍太郎(本名:小林龍太郎)と結婚
- 74歳(2023年5月現在)
- 上岡プロモーション社長(以前の職業)
結婚後、友岐子さんは主婦をしていましたが、
1979年頃から芸能活動をするようになり、
関西ローカル番組『奥さまリビング』に月曜レギュラーとして出演し、
公開お見合いコーナー「二人でお茶を」にて、
アナウンサー・桑原征平さんと一緒に司会を務めていました。
しかし、1979年9月にこのコーナーが終了すると、再び主婦業に専念しています。
なので、友岐子さんがタレントとして活動していたのはほんの数か月のことだったようです。
友岐子さんは「上岡プロモーション」の社長も務めていた時期もあったようですが、
表舞台に出ることはなかったようです。
ちなみに、『奥様リビング』で司会を務めたのは、
桑原征平さんが上岡さんの高校の後輩だったことが縁で引き受けたのかもしれませんね。
上岡龍太郎と嫁の馴れ初め
上岡龍太郎さんと友岐子さんの馴れ初めは、演芸会場でした。
友岐子さんは上岡さんが「横山パンチ」の芸名で、
「漫画トリオ」として活動していた時からのファンで、
中学生の時に漫才を見に行ったそうです。
二人が出会った当時の年齢は、
上岡龍太郎さんが21歳のときでした。
嫁の友岐子さんは8歳下なので、
13歳のときに上岡龍太郎さんに出会ったことになります。
上岡龍太郎さんは友岐子さんに会った瞬間、
ピッと青い光りが走り、
「僕はこの子と結婚する」と感じたんだそうですよ。
21歳が13歳の女の子を見てこう思うのはちょっと複雑ですね。
上岡さんは、友岐子さんに対して、
- 「君は僕と結婚する」
- 「君は僕の奥さんになる」
- 「君は僕の女房になる」
と口説き続けたんだそうですよ。
もともとファンだった友岐子さんにとって、
口八丁手八丁の上岡さんの口説き攻勢から逃れることは到底無理だったようで、
それから6年後、友岐子さんが19歳のときに結婚しています。
そして、
1971年には長男・聖太郎さんが誕生し、
現在は映画監督として活躍しています。
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まとめ
今回は上岡龍太郎さんにスポットをあてて
- 上岡龍太郎のプロフィール
- 上岡龍太郎の妹はミキの母親!甥っ子と叔父の関係!
- 上岡龍太郎の嫁はどんな人?馴れ初めは?
以上3つのテーマについて調べてみました。
上岡龍太郎さんのご冥福をお祈り申し上げます。
最後までお読みいただきありがとうございました。