デビューから50年以上経ち、
歌手やタレントとして精力的に活躍されている研ナオコさん。
バラエティ番組に出演された時は、
その独特な存在感とコメント等でお茶の間に笑顔を届けてくれる存在です。
そんな研ナオコさんは、若い頃、
ハーフ顔の美人だと話題になっていたことをご存知でしょうか。
今回は研ナオコさんの若かりし頃の写真や
エピソードをご紹介していきたいと思います。
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【画像】研ナオコの若い頃はハーフ顔美人!
比較的若い世代の方は研ナオコさんと聞くと、
「志村けんのバカ殿様」に出演されていたときの
変顔を思い出す人もいるかもしれません。
けれど若い頃の研ナオコさんは、
ハーフのような顔立ちの美人と言われていたのです。
実際はどのような方だったのでしょうか。さっそくみていきましょう。
いかがですか?
若々しくて肌もとても綺麗ですよね。
こちらの表情はアンニュイな感じで、
ハーフのような顔立ちに見えます。
当時は、「目に感情が出ない女性」を
美人と定義されていたそうです。
今でも美人と言われてもおかしくありません。
画家の岩田専太郎さんは、
「百年に1人出るか出ないかの不世出の美人」
と研ナオコさんを評しています。
また漫画家の赤塚不二夫さんに至っては、
研ナオコさんのファンクラブの会長を務めていた程。
美的感覚のある画家や漫画家さんに美人と評されるのは、
女性冥利に尽きるのではないでしょうか。羨ましい限りです。
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研ナオコはハーフなの?
研ナオコさんは日本人離れしたお顔をされており、
ハーフなのではと疑問に思う方もいらっしゃることでしょう。
実際にハーフなのか調べてみました。
研ナオコのプロフィール
- 本名:野口なを子(旧姓:浅田)
- 生年月日:1953年7月7日
- 職業:歌手、女優
- 身長:162㎝
- 血液型:A型
- 出身地:静岡県田方郡天城湯ヶ島町(現:伊豆市)
- 所属事務所:田辺エージェンシー
プロフィールからも分かる通り、
研ナオコさんはハーフではなく日本人でした。
さらに詳しく見ていきましょう。
研ナオコの幼少期
研ナオコさんの両親は、兼業農家として働いていました。
父親は長距離ドライバーで母親はわさび畑等に携わり、1日中働いていたそうです。
また研ナオコさんには異母兄が2人おり、3人兄弟の末っ子として暮らしていました。
幼少期の頃から歌うことが大好きで、
当時流行っていた美空ひばりさんや島倉千代子さん等の曲を歌っていたそうです。
そして4歳の頃には地元の夏祭りで開かれた素人演芸会に参加し、
人前に立つ経験をしていました。
その時は美空ひばりさんの「ひばり節」を歌って大好評だったそうです。
そんな研ナオコさんが小学生の時に、
同い年の小林幸子さんがデビューしたことを知ります。
それが歌手になることを志すきっかけになったのです。
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研ナオコの高校生時代
研さんが高校1年の15歳の頃、友人と東京へ出かけることがありました。
目的は当時日劇で上演されていた「ウエスタンカーニバル」を見に行くことです。
そして出演されていたピーターさんを見て感銘を受け、
「私もあんなスターになる」と歌手になることを本気で決意します。
その思いはすさまじく、高校を1年生で中退し、
両親の反対を押し切って上京してしまうほどでした。
住処は神奈川県横浜市にある叔父の家に転がり込み、居候することになります。
叔父さんもよく受け入れましたよね。
今の時代ではなかなか考えられません。
実は研さんの叔父さんは、
東宝会館の電気室で働いていたそうで、
その縁で東宝レコードのオーディションを受けることができたのです。
そして見事合格した研さんは、1971年4月に
「大都会のやさぐれ女」という曲で念願の歌手デビューを果たします。
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研ナオコのデビュー後
夢だった歌手としてデビューした研さんでしたが、
なかなか売れる機会に恵まれませんでした。
日本各地のキャバレー等を、営業で転々と回る日々を送っていたといいます。
直接買ってもらうためにレコードを持って、
スナックに営業をかける涙ぐましい努力をされていたのです。
回っている間は2ヶ月間お風呂には入れず、
ミニスカートの衣装で冬の北海道を営業したりと
並の精神力では耐えられない過酷さでした。
そんなある日、マネージメント業務をしていた
東宝レコードの顧問「田辺昭知」さんとの出会いが
研さんの芸能人生を変えるきっかけになります。
東宝レコードから田辺さんが設立した事務所
「スパイダクション(現:田辺エージェンシー)」に移籍して、
シングルを続々と発表するのです。
そして1972年7月に発表した「京都の女の子」がデビュー以来、
初のオリコンシングルチャートランクインという結果を出します。
そして同じ年に人気ドラマ「時間ですよ」や「ミノルタカメラ」のCMに出演し、
瞬く間にタレントとしてお茶の間の人気者になっていったのです。
その後もシングル「愚図」がFNS歌謡祭の「最優秀歌謡音楽賞」に選ばれ、
1978年のシングル「かもめはかもめ」では、
日本歌謡大賞放送音楽賞と日本レコード大賞の金賞まで獲得する等、
トップ歌手と呼ばれるまで成長されていきました。
身1つで上京してきて、夢を叶えた研ナオコさん。
きっと伊豆のご両親も喜んだに違いありません。
彼女がもしハーフだったのなら、違った売れ方をしていたのでしょうか。
なんてもしもの事を考えてしまいます。
けれどそういう考えは、もしかしたら無粋かもしれませんね。
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【画像】研ナオコは現在も劣化なし?すっぴんの肌がキレイと話題
2023年に70歳を迎える研ナオコさん。
今でも精力的に芸能活動を行って、ファンの方達へ元気を届けています。
そんな研さんの肌がキレイであると話題になっています。
実は研ナオコさんは、
2020年3月から自身のyoutubeチャンネルを開設し、
youtuberとしても活動されています。
そのチャンネル内でアップされたメイク動画に注目が集まっています。
すっぴんの状態で登場し、メイクを施し、
美しい顔になっていく様子を紹介されている動画になっています。
しかも使用している化粧品は、
ドラッグストアで手に入る商品で親近感を感じる視聴者が多数いました。
その証拠に2023年現在その動画の再生回数は、
590万回を超えもうすぐ600万回に届こうとしています。
その動画がこちらです。
この動画のコメントには、
「全然シミがないし、肌がとても綺麗」
「60歳を超えてもこうやって綺麗にメイクして爪まで美を怠らないような人間になりたい」
といった感嘆の声が多数見受けられました。
歳を取っても美しくあるための努力を欠かさない姿勢に多くの女性が、
触発されたのでしょうね。
また研ナオコさんは、歌手としても未だ精力的に活動されており、
そのお姿もまた美しいと評判です。
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まとめ
今回は研ナオコさんの過去と現在についてご紹介させていただきました。
研ナオコさんは若かりし頃は、芸術的センスを持つ人達に美人であると評されていました。中にはファンクラブに入る人までいて、注目されていたことが覗えます。
ハーフ顔の美人と言われていましたが、実家は静岡の伊豆市で生粋の日本人でした。
デビューしてから売れるまで様々な努力をされてきた苦労人でもあります。
そんな彼女は、2023年で70歳を迎えようとしても尚、タレントとして活躍されています。
今後も研ナオコさんの活躍に期待したいですね。
最後までお読み頂きありがとうございました。