吉本興業の人気お笑いコンビ「蛙亭」。
男女お笑いコンビとして大人気ですよね!
今回はそんな蛙亭・中野周平さんにスポットをあてて、
蛙亭・中野周平の高校大学など学歴は?
蛙亭・中野周平の学生時代の部活は美術部?
蛙亭・中野周平の学生時代のエピソード
以上3つのテーマについて調べてみました。
どうぞ最後までお付き合いください。
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蛙亭・中野周平の高校大学など学歴は?
お笑いコンビ・蛙亭の中野周平さんは、岡山県出身の芸人です。
コントや漫才でツッコミを担当し、
相方のイワクラさんと共に人気を集めています。
そんな中野周平さんは1990年11月20日に岡山県岡山市南区に生まれました。
中野周平さんは小学校から高校までは地元で過ごしています。
こちらが、中野周平さんの学歴です。
- 出身小学校:岡山県 岡山市立平福小学校
- 出身中学校:岡山市立福浜中学校
- 出身高校:岡山県立岡山東商業高等学校 「偏差値48」
では、それぞれ詳しく見ていきましょう!
中野周平の小学校
中野周平さんの出身小学校は、
岡山市内の公立校の平福小学校です。
中野さんは、自身の子供の頃について、
インタビューでこのように話しています。
子どものころはわりとのどかな風景というか、7軒くらい平屋が並んでいて、裏に水田があるような場所に住んでいました。思い出の遊び場は、実家近くの旭川です。河川敷にポツンと神社があって、まるで川に浮かんでいるような姿が印象的でしたね。
のどかな環境の中でのびのびと育ったようですね!
こちらの小学校は住宅地にあり、
登下校時には近所の方がところどころに立っていて、
子供たちを見守ってくれるそうです!
中野周平の中学校
中野周平さんの出身中学校は、
地元岡山市内の公立校の福浜中学校です。
中野周平さんの現在の身長は176cmで、体重は83kgですが、
中野さんは中学2年生の時にすでに80kgあったそうで、
あだ名は「タイヤ」だったそうですよ。
こちらの中学校を卒業している有名人は以下になります。
- 田代エリナ – バスケットボール選手(元:アイシン・エィ・ダブリュ ウィングス)
- 星野大地 – プロ野球選手(元:福岡ソフトバンクホークス)
- 星野雄大 – プロ野球選手(元:東京ヤクルトスワローズ)
- 松永弘樹 – 社会人野球選手(元:三菱重工広島硬式野球部)
- 渡邊雄貴 – プロ野球選手(元:横浜DeNAベイスターズ)
- 海野隆司 – プロ野球選手(福岡ソフトバンクホークス)
中野周平の高校
そんな中野周平さんは、
岡山県立岡山東商業高等学校に進学しました。
商業高校ということで、
簿記や会計などの科目を学んだと思われます。
中学校のあだ名は「タイヤ」でしたが、
高校では痩せていたようです。
こちらは高校卒業2年後、吉本興業に入ったときの画像だと思われます。
痩せていますよね。
また、こちらの高校は野球部が有名だそうです。
硬式野球部は1903年に創部。
選手権(夏の甲子園)に11度、選抜(春の甲子園)に8度出場。
1965年(昭和40年)の選抜では、全国制覇を達成しています。
1991年まで11度、選手権に出場しており、多くの野球選手を輩出しています。
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蛙亭・中野周平の学生時代の部活は美術部?
お笑いコンビ・蛙亭の中野周平さんは、
絵を描くことが趣味で特技でもある芸人さんです。
プレバドの水彩画コーナーに出演した際には、
高評価を獲得するなど、その才能を発揮しています。
そんな中野周平さんは元々絵を描くことが趣味で、
中高時代は美術部に所属していたといい、
こう見えて中・高は美術部。漫画アシスタント経験もあるんです
と語っています。
中野周平さんは、学生時代に美術部に所属していたことや、
漫画家のアシスタントをしていたことなどが絵の上達につながったと語っています。
ここでは、中野周平さんの美術部時代について、詳しく見ていきましょう。
中野周平は中・高美術部だった
中野周平さんは中学校に入ると、美術部に入部しました。
美術部では、水彩画や油絵などさまざまな技法を学びました。
中野周平さんは特に水彩画が得意で、色彩感覚やタッチが優れていたそうです。
高校は前述したように、
岡山県立岡山東商業高等学校に進学し、
高校でも美術部に所属しています。
高校の美術部では、
仲間と切磋琢磨しながら絵を描くことを楽しみ、
美術館や展覧会にもよく足を運んだそうです。
中野周平は漫画のアシスタントをしていた
中野周平さんは漫画のアシスタントもしていたそうで、
子供の頃からイラストを書くのが大好きだったんです。 その趣味を活かして漫画のアシスタントをしています。 モーニングで連載中の「カバチタレ! 3」や漫画家デビューをされたシャンプーハットのこいでさんの作品、「パパは漫才師 」とかのお手伝いをさせてもらっています。
と語っています。
そんな中野周平さんは、もともと
先輩芸人の「シャンプーハット」恋(こい)さんが
連載していた漫画のアシスタントをしていました。
そして、そのときのアシスタント仲間だった先輩からの紹介で、
ドラマ化もした人気コミック『カバチタレ!』(講談社)の作者・東風孝広氏のもとでアシスタントをしています。
中野周平さんは、こだわりが強く凝り性の東風先生のもとで鍛えられたようです。
中野周平さんは、このような経験と、
彼自身の資質も相まって彼の絵は称賛を浴びているのでしょうね!
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中野周平の学生時代のエピソード
芸人目指したのは中学時代
芸人を目指したきっかけついてインタビューでは次のように話しています。
きっかけは中学3年のときに、進路で悩んでまして。家も裕福じゃなかったんで『何もやりたいことがないのに、高いお金出して高校に行かせてもらうのも悪いな』と思って。かといって、『中卒で就職するのも違うな…』とかいろいろ考えてたんですけど。
そんな時にテレビで「リンカーン」を見て、
“芸人として活躍している人は、芸人になろうと決めてなったんだな”
と思ったそうで、NSCのことについて調べたそうです。
彼は心の中では中学卒業後にお笑いの道に進みたいと思っていたそうですが、
現実的には中卒ではまずいかないと考え、高校進学を決めたそうです。
中野周平は高卒で駅の職員やってた
高校卒業後は大学に進学せず、
JR西日本宝塚駅のみどりの窓口で駅員として働きました。
この時期には、芸人を目指すためにNSC(吉本総合芸能学院)の入学金を貯めていたそうです。
彼の心がけは立派ですね。
お笑い芸人として成功するためには、
心構えや姿勢も非常に重要ですから、
この点でも申し分ないようです。
駅員として勤務2年後、芸人の道へ
JR西日本宝塚駅のみどりの窓口で駅員として2年間働いた後、
念願のNSC大阪校34期生として入学しました。
NSCでは芸人や講師からユーモアの構築や演技のテクニック、
ステージパフォーマンスの基礎などを学びましたが、
なかなか相方を見つけることが出来なかったそうです。
そんな時、「相方探しの会」でイワクラさんと出会い、蛙亭を結成しました。
イワクラさんは、衝突が起こるためとして、
女性同士でコンビを組むのは当初から考えていなかったそうで、
中野さんが温厚なため助かっていると明かしています。
中野さんは温厚な性格で、イワクラさんが遅刻しても全く怒らないんだそうですよ。
そしてNSC卒業後は吉本興業に所属し、東京で活動するようになりました。
現在はテレビやラジオなどで多数出演しており、
特にキングオブコント2021ではファイナリストに進出するなど、その実力を認められています。
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まとめ
今回は蛙亭・中野周平さんにスポットをあてて
- 蛙亭・中野周平の高校大学など学歴は?
- 蛙亭・中野周平の学生時代の部活は美術部?
- 蛙亭・中野周平の学生時代のエピソード
以上3つのテーマについて調べてみました。
いかがだったでしょうか。
今後の活躍がますます楽しみですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。