お笑いコンビ・ノンスタイルの石田さん。
実家が貧乏だったことで有名ですね。
今回はそんなノンスタイル石田さんにスポットをあて、
ノンスタイル石田の貧乏エピソード10選!
ノンスタイル石田の生い立ちが壮絶な原因は父親にあった?
ノンスタイル石田の家族構成
以上3つのテーマについて調べてみました。
どうぞ最後までお付き合いください。
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ノンスタイル石田の貧乏エピソード10選!
貧乏エピソード① 家賃を折半
ノンスタイル石田さんは、6人家族で、
子供時代は4畳半の部屋が3つと
バス・キッチンがある大阪市営の団地に住んでいたそうです。
でも驚くことに1つの部屋に別の3人家族が住んでいたんだそうです。
決して6人家族が暮らすのに高いとは言えない
4万2000円の家賃だったのですが、
石田家はその家賃さえ支払うのに苦労していたようです。
挙句の果てに両親が思いついた”策”は、
『見知らぬシングルマザーと子供2人の3人家族と同居し、家賃を折半する』
ことだったのです。
それだけでも驚きなのですが、その後、
それでもやりくりがしんどくなった石田家は、
更に驚く事に、その後更なる家族として、
他人のお婆さんも加わり3家族で3DKの市営住宅内で共同生活を送っていたのだそうです。
3DKに3家族10人とは、息が詰まりそうですね!
石田さんは、この当時の事を「『テラスハウス』のはしり」だった
と半分本気で語っています。
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貧乏エピソード② 麦茶のパックは9回再使用
ノンスタイル石田さんは、麦茶のパックを天日干しして、
9回も再使用することを告白しています。
「“シーズン1”の麦茶を飲むのが幸せだった。映画もシーズン1が一番面白い。それと一緒」
だそうです。
貧乏エピソード③ 血塗られた「きな粉棒」
当時、駄菓子店のお菓子「きな粉棒」は、
食べ終えた楊枝の先が赤く塗られていると当たりで、
もう一本もらえたそうです。
これを知った石田さんの兄は、歯茎を楊枝で刺し、
自らの血で先端を赤く染色するという無謀な手法で
“アタリ”を自作したそうです。
店のおばあちゃんは泣きながら「食べてええよ」と、
同情からもう1本くれたそうです。
貧乏エピソード④ 早起きは三文の徳
食パンの耳がタダで喫茶店でもらえることがあり、
兄弟はそれぞれ別の店に行き、分けてもらっていたという。
ところが、石田少年の行く店に、先にもらいにくるライバルが現れたそう。
「その日から早起き対決が始まった」とか….
石田少年は、最終的にパンが搬入される前から喫茶店に行き、
待ち伏せしていたそうです。
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貧乏エピソード⑤ おちおち風邪もひいてられね
病気になってもなかなか薬がもらえなかった石田少年。
腹痛になり正露丸を求めると、母から「あの匂いが効く」と言われ、
ずっと空き瓶の匂いを嗅いでいたそうです。
においで、腹痛は治ったのでしょうか?
気になりますね!
また、風邪を引くと、給食費が無駄にならないよう、
給食だけを食べるために学校へ行かされたこともあったそうです。
石田家ではうかうか、風邪もひいてられませんね!
貧乏エピソード⑥ ちくわで釣られる石田兄弟
ザリガニが釣れる近所の池で、
エサ用のちくわを男兄弟3人で盗み食いしていた石田少年。
毎晩ちくわがなくなることから、町では、
「でっかいザリガニが住んでるぞ」とウワサになり、
どんどんエサのちくわが大きくなったといいます。
ある夜、同級生らがザリガニを探しに行ったところ、
そこにいたのは石田3兄弟でした。
「お前ら、エサドロボー!」と怒られたことを明かしていました。
池に仕掛けている汚いちくわなんかを食べるからお腹もいたくなり、
正露丸のにおいを嗅ぐ羽目になるという、
まさに『貧乏・負のスパイラル』ですね。
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貧乏エピソード⑦ 初めてのレストラン
幼少期、石田家の食事の選択肢は、
- 家での手料理
- 給食
- 我慢
の3つのみだったそうです。
お茶碗に入れた白米を焼肉屋の前まで持っていき、
換気扇から流れてくる焼き肉の香りで白米を食べる…
それが石田家にとっての「外食」だったとの事。
そんな話はフィクションの中の話で、現実にあったとは….恐るべし石田家!
人生初の高級レストランでの食事の時は、恥をかかないように、
3日前から、「エアレストラン」で家族総出の練習を重ねた石田家。
「ボタンの付いた服を借りる」「箸をナイフ代わりにして練習する」など
準備万端で迎えた本番当日なのに、おいしい料理を味わえなかったそうです。
それは、レストランに行けることで過度なストレスを感じてしまい、
兄弟全員が口内炎ができてしまったのでした。
石田少年は「なんでこんな日に口内炎なるん!? 神様ひどいわ!」
と不運を嘆いたのでした。
貧乏エピソード⑧ 給食を横流し
石田さんと同じ中学と高校に通っていた相方の井上さんは、
石田さんのとんでもない行動を暴露しています。
それは、給食に出てくるパンに付けるジャムやマーガリンの小袋が、
石田さんのお気に入りだったと説明。
その理由は、
「味が好きっていうわけではなく、これを食べないで持って帰って、近所の業者さんに売って小遣い稼ぎをしていた」
というもので、貧乏だった石田さんの
とんでもない給食活用術をテレビで公開したのでした。
でも、あんなものいくらにもならないと思いますが、
業者の人も石田少年が貧乏な家の子とわかっていて、
不憫に思い小遣いがわりにくれたのかも知れませんね?
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貧乏エピソード⑨ インコのせいで子供が全員ぜんそく
あるとき、石田さんの父親は、
「インコは金になる。繁殖がボロい」とインコを育てて売ろうと、
ブリーダーめいた事を始めたそうです。
でも「インコのせいで、子供が全員ぜんそくになった」
と失敗に終わったことを話しています。
貧乏エピソード⑩ その他
過酷な少年時代だった石田さん、
これだけのエピソードがあるという事は、
おそらく近所でも話題になる程の困窮ぶりだったのでしょうね。
他にも子供の頃の遠足のお弁当が、蓋を開けたら「食パン2枚だった」事。
もやしだけの鍋を鍋料理・すき焼きだと思い込んでいた事。
学校の音楽の時間に必要なリコーダーが買ってもらえず手作りだった事。
夏休みの宿題である絵日記をどこにも行ってないのに「想像で書いた」事。
‥等々、まだまだ、貧乏エピソードは尽きないようです。
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ノンスタイル石田の生い立ちが壮絶な原因は父親にあった?
ノンスタイル石田の父親はギャンブラーで貧乏に!
元々父親は板前でしたが、
オーナーと喧嘩するたび給料をもらわずに帰ってくるような
破天荒な方でした。
それでいて家族もいるのに、ギャンブルが大好きで、
給料をもらわない状態であってもギャンブルに明け暮れ、
借金を作ったりしていたとのことです。
1月25日、テレビ朝日「徹子の部屋」で石田家について話が及ぶと、相方の井上裕介が「ここのお父さんのほうが荒くれものというか、昭和に家に帰ってこないタイプの親父やった」と話し、石田も「やっと帰ってきたと思ったらお金もっていく、みたいなそんな感じ。僕は貧しかったので」と苦笑した。
(ヤフーニュース:引用)
貧乏一家の原因は、ほぼほぼ父親にある場合が多いわけですが、
この石田さんの父親も典型的な”ダメオヤジ”のようですね!
ギャンブル三昧で、家賃も払えないのに、
シングルマザーと同居など、どう見ても破天荒すぎる父親ですね。
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ノンスタイル石田の父親は超怖い人
さらに、石田さんは父親について
マジで親父信じれんほど強かったんですよ。マジでメチャクチャ怖くて。うちの兄弟、反抗期ないんですよ。
と語っています。
また、自身のブログでもこう綴っています。
あまり家に帰ってこないのが救いだったが、いざ父が帰ってくる時は、きょうだい総出で直立して出迎えたものだ。常に敬語を使い、顔色をうかがい、当たり障りのないように過ごした。
【引用元:NON STYLE 石田明オフィシャルブログ】
と、怖くて近づき難かった父親と兄弟たちの当時の様子を振り返っています。
さらに、石田さんは父親とキャッチボールを1回だけしたことがあるそうですが、
子どもに投げるスピードじゃないです。それで終わりました『なんやお前下手やの』言うて。
と、子供にも手加減しない、型破りな父親の一面を明かしています。
そんな父親ですが、授業参観に来てくれた事もあったのだとか。
でも、その時の装いはパンチパーマに紫のダブルスーツ。
当然、同級生がざわついたのは言うまでもありません…
翌日の授業参観日。
ザワザワと同級生が落ち着きなく騒いでいる中、授業は始まった。振り返ると父がいた。パンチパーマをあて、紫のダブルのスーツにサングラス姿の父が。【引用元:NON STYLE 石田明オフィシャルブログ】
そんな両親の顔画像はこちら!
今では優しそうな感じですね。
家のベランダに自殺防止のネットを張っていた
石田さんは、芸人になってからも
父親が作った借金の返済が原因で”うつ”を発症しています。
一時は本当に症状が深刻な時もあったそうです。
その頃は、家のベランダに自殺防止のネットを張っていたのだそうです。
父親のあまりの破天荒さに、
石田さんは幼少期から振り回されていたのも確かなようです。
石田さんのお父さんはは、破天荒と言うより罪作りな方ですね….
このように昔は破天荒な父親でしたが、
現在は孫を見ると仏様のように穏やかでいるとのことです。
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ノンスタイル石田の実家の家族構成
ノンスタイル石田の実家の家族構成
ノンスタイル石田さんの実家の家族構成は、
両親、2人の兄と、姉、そして末っ子の石田さんの6人家族です。
簡単に石田さんの家族全員のキャラをまとめますとこうなります。
- 父親:ゴルゴ13の風貌で喧嘩っ早い性格
- 母親:朝から焼酎を飲み泥酔状態で運動会に乱入した豪快な性格
- 長男:次男と一緒に数々のヤンチャエピソードを残す兄
- 長女:1番仲が良かった姉
- 次男:顔色が常に悪いおバカな兄
- 三男:石田明本人で4兄弟の末っ子
ノンスタイル石田の実家はどこ?
ノンスタイル石田さんは、大阪府の市営住宅で暮していました。
石田さんは自身のアメブロで、
2011年に実家が引っ越したことを報告しています。
ブログには、自身が31年間暮らした市営団地との別れに
立ち会えなかったことを残念に思っていることが綴られていました。
実家がいっちょ前に引っ越しやがりました。
それもいい家に!
石田家らしくない!
31年住んだ市営住宅との別れには立ち会えなかったのが寂しい。【引用元:NON STYLE 石田明オフィシャルブログ】
石田さんの出身小学校が『大阪市立中津南小学校』であることから、
石田さん一家が住んでいた市営団地は大阪市北区が有力視されています。
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ノンスタイル石田の母親も破天荒
父親と同様に、ノンスタイル石田さんの母親も破天荒キャラのようです。
明るくて穏やかそうなお母さんですが、数々の強烈なエピソードの持ち主です。
石田さんの母親はかなりの酒豪で、石田さんが小学生の時に、
なんと泥酔状態で運動会の競技に乱入してきたそうです。
そんな、母親に、石田さんは
(母親は)明るかったですけど、貧しかったんで、言うことがちょっと変ですよね
と回顧します。
また、
「中学の時に成績がよくなってきたんですよ、普通母親だったらほめるのに、オカンが言ったのは『あんた、まさか高校行く気ちゃうやろな!』って言ったんです」
と驚きのエピソードを披露。
さらに
「僕が『プラモデルがほしい』ってねだったら、『分かった用意したるわ』って言って、次の日ぐらいに、大量の段ボール箱を持ってきて、『プラモデルだから好きなだけ遊び!』って言って…。僕は遊んでたんですけど、後々気付いたらただの内職やったんです。内職をずっとやらされていたっていう。
と苦笑いを浮かべていました。
その時、石田少年は、母親にノリ突っ込みでもしたのでしょうか?
「プラモデルゥ、プラモデルゥっとぉ!いやいやっ!これ内職やないか~い!」って!
1つ間違えると両親を逆恨みしても可笑しく無い程の、
過酷な生い立ちではありますが、
そうした極貧生活を笑いに生かしているところに
石田さんの懐の深さを感じてしまいます。
そんな石田さんは、2011年12月22日のツイッターに
「おれは貧乏に生まれて幸せでした」と投稿しています。
貧乏ながらも、明るく楽しい家族だったのでしょうね!
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ノンスタイル石田明の兄弟について
子供時代家が貧乏ながら、石田さんが明るく元気に過ごせたのは、
兄弟の存在が大きかったのではないでしょうか?
ここでは、ノンスタイル石田さんの2人の兄と姉ついてご紹介します。
長男:ノンスタイル石田の1番上の兄
長男の名前は『信一』さんです。
年齢は石田さんの6つ上です。
男兄弟3人でザリガニ用に置かれたチクワをつまみ食いしていたら、
大きなザリガニが出ると噂が立ち、チクワがどんどん大きくなった
との嘘みたいな前述のエピソードの主犯格です。
長女:ノンスタイル石田の2番目の姉
長女の名前は『恵美』です。
年齢は石田さんの4つ上です。
石田さんが子供時代に1番仲が良かったのが、この姉でした。
姉の友人と遊ぶことも多かったそうです。
石田さんは、2人の兄に両腕を引っ張られて脱臼したことがあるそうです。
姉には乱暴なあつかいを受けなかった為、1番仲良しだったのでしょう。
次男:ノンスタイル石田の3番目の兄
次男の名前は『守』さんです。
石田さんより3つ年上です。
石田さんは次男の人物像について、かなり辛口に語っています。
次男は常に顔色が悪く、石田さんよりさらに痩せていて貧弱だったそうです。
石田さんによると、次男は”大バカ”で、学校のテストでは、
○と×で答える質問にも回答することができずに△と書いていたそうです。
ところで、「きな粉棒」のエピソードは
どのお兄さんだったのでしょうか?
気になります。
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まとめ
今回はノンスタイル石田さんにスポットをあて、
- ノンスタイル石田の貧乏エピソード9選!
- ノンスタイル石田の生い立ちが壮絶な原因は父親にあった?
- ノンスタイル石田の家族構成
以上3つのテーマについて調べてみました。
如何だったでしょうか?
今も貧乏なら笑えませんが、芸能界で大成功出来て良かったですね。
ご両親もきっと喜んでいる事でしょう!
最後までお読みいただきありがとうございました。