お笑い芸人の岡野陽一さん、
ギャンブル好きで多額の借金をするなどクズ芸人として人気ですよね。
そんな岡野陽一さんは、敦賀高校出身で大学はどこになるのでしょうか?
パチンコ三昧で単位取れず中退?
見ていきましょう。
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岡野陽一は敦賀高校出身で大学どこ?
岡野陽一さんの高校は
「敦賀高校」と言われていますがどうでしょうか?
岡野陽一さんは福井県敦賀市郊外生まれのようです。
そのことからも敦賀市付近の高校へ通っていたと思われますが、
「敦賀高校」とは公表はされていないことから、
実際のところは違う高校へ通っていた可能性もありますね。
では高校の頃、岡野陽一さんは頭が良かったのでしょうか?
小学生の頃の岡野陽一さんは、
学業優秀、運動神経も長けていて優秀な子供だったのだとか。
「小学生の頃は『神童』と呼ばれたこともあったんです。」
と岡野陽一さん自身が話すくらい。
父親が先生という教育者であったこともあり、厳しい家庭で育ったようです。
当時の岡野陽一さんも、将来は学校の先生になりたいと思っていたのだとか。
しかし中学生になった岡野陽一さんは、
「ダウンタウンのごっつええ感じ」に出演する芸人さんの稼ぎの良さに憧れ、
教師の夢をさっぱり忘れ、芸人を目指しだします。
そんな岡野陽一さんは
高校でもあまり勉強はしていなかったのではないでしょうか?
高校2年生の頃、年賀状に友人へ「吉本に入ろうよ」と声をかけています。
ですがその友人は既に就職先が決まっており断られたのだとか。
そしてその時ふと我に返り、大学へ行くため焦って勉強したのだそうです。
そして高校卒業後は「京都産業大学外国語学部」に進学しています。
そこでは英語を専攻していたのだとか。
現在の英語学科の偏差値は45〜50と一般的な数値。
大学の卒業生には、
笑福亭鶴瓶さん
ハイヒールのリンゴさん
などがいらっしゃいます。
大学へは進学せず芸人になろうとしていた岡野陽一さん、
焦って勉強した割にはちゃんと大学へ入れたのは
元々「神童」と呼ばれていただけありますね。
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岡野陽一はパチンコ三昧で単位取れず大学中退!?
大学時代の彼女がきっかけでパチンコを始める
岡野陽一さん、無事大学に合格するのですが、
パチンコ三昧で単位が取れず中退しているとか?
というのも高校を卒業し、大学へ入学するまでの期間、
当時付き合っていた彼女の美奈さんにパンチンコ店に連れて行ってもらったのがきっかけで、
ギャンブルにはまりだしてまったようです。
彼女の父親が大のパンチンコ好きだったそうで、
彼女もその影響を受けてか
岡野陽一さんの隣で次々と大当たりを出していたんだとか。
その横でわけもわからない状態の岡野陽一さんは当たりが出ず、
あっという間に15,000円負けてしまったのだそうです。
当時、岡野陽一さんは時給650円のバイトをされていたそうで、
そのお金で服なども買っていたのに、
こんな理不尽に大金がなくなったことが許せなかったんだとか。
『650円だと23時間は働かないといけないじゃないか』
と思った岡野陽一さんは、
絶対に取り返してやると心に誓ったようです。
そして負けた分を取り戻すべく、
それからほぼ毎日のようにパチンコ店に通いだしたのだとか。
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単位取れず、中退
また当時の彼女は東京の大学だったそうで、
大学で京都にきた岡野陽一さんには誰も知り合いがいなかったのだそうです。
大学の授業にも出ず、
1人でも楽しめるパチンコに行ってしまっていたというのもあるのだとか。
大学には行かずパチンコ店に通う日々…。
親にも大学を「辞めたい」と話したこともあるそうです。
しかし「一回入ったんだから行け!」と応じてくれなかったんだとか。
そりゃ普通の親ならそう言いますよね。
そして大学4年間在籍したにも関わらず、1つも単位が取れなかったのです。
そのことを知った親はさすがに「もう辞めていい」となったのだとか…。
そして大学を中退。
結局大学へは、10回も行ってないんじゃないですか?と後に話しています。
これはひどい…。
もし大学入学前にパチンコを知らずにいれば、大学は卒業していたかもしれませんね…。
ご両親も厳しい方であったようですから、
そうとうショックをうけたのではないでしょうか?
そして大学中退後も京都にはしばらくいたそうで、
行きつけのデ・マッセというパチンコ屋さんに毎日入り浸っていたのだそうです。
せめてもう少し早く大学はやめるべきだったのではないでしょうか?
学費がもったいなさすぎますよね…。
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岡野陽一の学生時代のエピソード
パチンコ好きレベルはもはや病気
上記でも述べた通り、
岡野陽一さんは大学入学を目の前にパチンコにハマってしまい、
ギャンブル漬けの学生時代を過ごしています。
わざわざ東京から彼女が会いに来ても、
デートしている最中にパチンコがやりたくて仕方がなくなり、
気がついたら彼女をまいてパチンコ店に直行していたといった話も。
もう病気ですよね。
学生時代の借金は150万
ほぼ毎日大学へは行かずパチンコ店に通いだした岡野陽一さん。
そして大学の単位は取れない上に借金どんどん膨らんでいったのだとか。
そして学生には学生ローンがあることを知った岡野陽一さん、
最初は入るのが怖かったそうですが、
一度入ってみたらとても良い人たちだったのだそうです。
学生証を見せたら簡単に10万円を貸してくれたのだとか。
利息は当時で月3000円ぐらいだったそうで、
それを返していればいくらでもいけると思った岡野陽一さんは、
そこから学生ローンにハマっていったのだそうです。
学生ローンは多くても一社あたり30万円が限度だそうで、
限度額を超えると、別のお店を紹介してくれるのだとか。
岡野陽一さんは、それでまた借りて…と4、5社からお金を借り、
借入金額の総額は120万円~150万円にもなったのだそうです。
ですがそのことを重く捉えていなかった岡野陽一さん、
いつものようにお金を借りるつもりで金融会社に行ったところ、
「貸すのは全然いいけど、これ以上借りたら、兄ちゃんたぶん首吊らなあかんで」
と京都弁で言われたのだそうです。
それが異常に怖く、そこでようやく自分の置かれている立場に気付いたのだとか。
そして岡野陽一さんは大学を中退し、
本気でパチンコに取り組むようになったのだそうです!
真面目に働くんじゃないんですね。
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パチンコで借金返済
これまで楽しくやっていたパチンコでしたが、
雨の日風の日もパチンコ店に通い、本を読んで勉強し、
開店前から並んで閉店前に台のデータも全部チェック。
そしてその結果、月に50万円勝つようになり、
わずか2年間で完済してしまうのです。
ですがこの経験が
「150万円ぐらいなら何とかなる」という変な自信が
岡野陽一さんに身についてしまったのだとか。
それからというもの、
18歳から26歳までほぼパチンコ屋さんにいたという岡野陽一さん。
そしてパチンコ台を回し続けることの素晴らしさを知ってしまったと言います。
回し続ければ当たりかハズレか、
抽選を受けれるその快感を知ってしまったのだとか。
もう死ぬまでこの快感は抜け出せないのかもしれません。
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工場でバイトしてたけど、仕事内容は監視
ですがパチンコ三昧であった学生生活を送っていたのかと思いきや、
そんな岡野陽一さんも学生時代アルバイトをしたときもあったのだそうです。
友人に紹介してもらい、工場で働いていたのだとか。
ですがそのときも頭の中はパチンコばかりで、
何を工場で作っているなどは全く興味がなかったのだそうです。
しかもその仕事の内容が、従業員のおじさんの作業を
朝9時から夕方5時まで見る仕事だったのだとか。
例えば、ネジを締めるおじさんが高い場所で作業をするときには、
別で脚立を支えるがちゃんと支えているかをみる仕事など。
とにかくずっと監視するのだそうです。
その仕事は岡野陽一さん曰く、暇で、
ケータイも見れない環境だったのだとか。
暇すぎてそれはそれでしんどい…。
それからも様々な見る仕事を任されたそうですが、
最終的には人でもなく泥を見るという仕事になったのだそうです。
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泥を見る仕事がきっかけで芸人になる
配管から茶色い泥が落ちてくるのを1人でずっと見るのだそう。
茶色い泥が茶褐色になったら上の者を呼びに行くというものだったそうです。
岡野陽一さんは昇格もし、収入は日当1万5千円から1万8千円だったのだとか。
見てるだけなのにこれだけもらえたら良いですよね?
楽してお金を稼ぎたいと考える岡野陽一さんらしいアルバイトです。
ですがさすがの岡野陽一さんも2年働いて、
一度も泥が茶褐色にならないことから飽きてしまったのだとか。
ただ椅子に座って考える時間はあったそうで、
人生のことなど色々と考えたのだそうです。
そしてそろそろ芸人になるかっと思い立ったのだとか。
岡野陽一さん、中学生の頃から芸人になりたいとは考えていましたが、
遂に泥を見ながら思い立つことができました。
これだけクズな学生時代を過ごした方も珍しいのではないでしょうか。
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まとめ
お笑い芸人の岡野陽一さんは「敦賀高校」出身という情報もありますが、公表されていないことからはっきりとしたことはわかっていません。
また大学は「京都産業大学」であったことがわかっています。
しかし学生時代は、パチンコ三昧で単位を取れず大学を中退しています。
なかなかのクズな学生時代を過ごしたようですね。
今もギャンブルは続けていますが、芸人になるという夢は叶えられて良かったですね。