今回は、youtubeに「アーシーチャンネル」を立ち上げ、
話題になっているロンドンブーツの田村淳さんの学歴についてお届けいたします!
では、
『田村淳は大学中退したのに大学院に合格したのはなぜ?』
『受験した理由は?』
などについて、どうぞご覧ください。
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田村淳は大学中退してた!
- 名前:田村淳
- 生年月日:1973年12月7日
- 出身地:山口県下関市
- 職業:お笑い芸人、司会者、会社経営者(株式会社LONDONBOOTS代表取締役、株式会社がちキャラ取締役会長、株式会社itakotoCEO)、YouTuber
- 趣味:お城、パソコン、バスケットボール、ミニ四駆、アニメ、金継ぎ
- 所属事務所:吉本興業
2018年4月に慶應義塾大学法学部通信教育課程に入学した田村淳さん。
大学受験にあたってセンター試験や二次試験に向けて勉強する過程を
ameba TVの企画として放送されながら、
青山学園大学を受験したものの、残念ながら不合格。
それでも学ぶことを諦めなかった淳さんは
慶應義塾大学の教育通信課程に合格し入学したそうです。
しかしテレビにラジオにYouTubeにと大忙しの淳さん。
単位のためのレポートは提出できるものの
肝心な試験に行くためのスケジュールがなかなか取れずに
結局中退することになってしまいました。
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田村淳は大学中退したのに大学院合格!なぜ?
田村淳は大学中退したのに大学院合格!
残念ながら中退してしまった田村淳さんですが、
その後、慶應大学の大学院に合格した報道がされました!
スケジュール調整がうまくいかずとも学ぶことを諦めなかった淳さん。
「他の学び方はないか?」と考え始めたところ、
いろんな方にアドバイスをもらい、大学院という選択肢を選んだそうです。
田村淳はなぜ大学院に合格できた?
でも大学卒業していないのに大学院に入学できるんでしょうか?
調べてみたところ、
実は『大学卒業相当の経験を証明すれば受験する事が可能』だそうなんです!
そこで淳さんが目をつけたのはメディアデザイン研究科。
- プロジェクトの起点
- デザイン
- 法律
- 経営
- プロジェクトマネジメント
などが学べるということで、
「ここに行きたい!」と思い受験したそうです。
淳さんの“大学卒業相当の経験”として、
これまでの芸能生活や手がけたサービスなどを書類で提出し、
その後小論文と面接の試験が行われたそうです。
面接の日のことは、今も忘れられません。全然緊張していないつもりだったのですが、部屋に入ったら慶應の教授が3人ずらっと並んでいて、雰囲気に飲まれました。質問のレベルは高いし、聞いたことのない単語が飛び出してくるしで、僕も人前でしゃべる事は自信がある方だけど…、あの時は頭が真っ白でしたね。10分ぐらい自分で自分が何を喋っているのかわからない状態が続きました。自分の声を聞きながら、「これ全然質問の答えになってないじゃん」と焦っていました。「ああ、完全に落ちたな…」という状態でした。
引用:HUFF POST
そこから面接官に
「結局君は入ったら何がやりたいの?」の質問に
はっと我に返って自分の思いを伝えられたみたいです。
テレビの淳さんからは全然想像できませんよね?
テレビでは司会者もやって場を回してお話上手なイメージですが、
そんなに緊張するような雰囲気が漂っていたのでしょうか?
その後面接官に熱意が伝わり、
「やりたいサービスはわかった。そのサービスはとても興味深い。やればいいよ。ただし、受かればね。でも、ちゃんと来れるのか?」
と聞かれた淳さんは、
「毎日来ます」と答え見事合格して大学院生となりました。
有言実行で合格してから数ヶ月は毎週5日は必ず行っていたそうです。
周りのサポートもですが本人の行動力も感心してしまいますね。
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田村淳が大学院を受験した理由は?
田村淳が大学院を受験した理由は法律を学ぶため
淳さんは大学や大学院に入学することが目的というわけではなく、
青学を受験した時からやりたいことは常に決まっていて、
法律を学びたいと思っていたそうです。
でもなぜ今法律を学びたいと思ったのか?
それは、田村淳さんが立ち上げた会社に関係していました。
敦さんは、遺書動画アプリ「ITAKOTO(イタコト)」を
提供する株式会社itakotoを立ち上げ、
2021年11月2日より提供開始いたします。
現在“死”とか“葬い”とか、
身近な人でもなかなか気軽に話しかけて語ることのできないものです。
しかし、そこの自分の死に方に対する意志や残される人に対する思いを
遺書よりもカジュアルに残すことができるように
淳さんは大学院で学んだ経験を踏まえて新しいサービスを展開しています。
「ITAKOTO」は動画で残した遺書を、自分の死後に大切な人と共有できるサービス。仕組みはシンプルで、スマートフォンで自ら動画を撮影し、発行された遺書動画のURLを指定した人物に送れるというものだ。
田村さんがこのサービスを始めたきっかけは、恐山(青森県)のイタコが孤独死した女優の霊を呼び出すというテレビ番組の企画で、イタコを通じて故人の気持ちを聞いた女優の弟が涙を流して感動し、姉の死を受け入れられるようになった姿を見たこと。そして、他ならぬ田村さんの母親を通じて、「死」というものについて日常的に考える機会が多かったことも影響している。
その母親が、癌で亡くなったのが昨年のこと。完璧な準備をして旅立った母の姿を見て、生きているうちに「死」と向き合う大切さを再認識することになった。こうした経験を、いずれサービスに落とし込みたいと田村さんは語る。引用:経済界ウェブ
確かに長寿を願い1分1秒でも長く生きることが当たり前に良しとされていましたが、
自分のこととして考えてみると健康年齢を保てないならなぁとも思います。
その意志を遺書として堅苦しく残していくよりも
動画としてスマホで気軽に残せるのなら、
それが本当に残された人の気持ちの支えになるのかなぁと思いますね。
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遺書動画アプリの発送は母親の影響
淳さんは元々学歴コンプレックスがあったそうで、
いつの日か学びのチャンスがあったら、
学びたいっていう気持ちは常に持っていたそうです。
そこから一歩踏み出すチャンスをくれたのは、
下関に住むお母さんの癌を患ったことがきっかけだったそうです。
大学で学びたいものはいろいろありますが、そのひとつが「尊厳死」「安楽死」についての考え方です。
引用:HUFF POST
淳さんのお母さんは看護師をされていて、
常々“人の死”と直面する場面が多く、
残された家族に自分の思いを伝える大切さを感じていたとのこと。
淳さんが20歳の時から
「延命治療は希望しない」という意志を
年に一度必ず伝えられていたそうです。
そして淳さんが46歳の時にお母さんが癌を患い、
本人の意志や尊厳を守ることができたそうです。
この体験から、人の死に方についてどう考えたらいいのだろうか、と思うようになりました。例えば安楽死は日本では法的に認められていません。けれども、安楽死を選びたいという人もいるでしょう。そうしたときに、いまのルールのままでいいのか、議論してもいいだろうと思うのです。
引用:HUFF POST
そんな母親の影響もあり、
田村淳さんは遺書動画アプリを開発したのですね。
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まとめ
芸人、会社経営、音楽活動、YouTubeと多岐に渡り活動していて敵を作りやすい淳さんですが、
働きながら学ぶという行動力は見張るものがありますし、誰しもが簡単にできることではありません。
淳さんの中に確固たる信念があり行動していることなんでしょう。
芸人の枠を飛び抜けていく淳さんの活躍に期待です。