キックボクシング選手である立嶋篤史さんと
松本人志さんの関係がわかるエピソードは?
また妻や息子は?
見ていきましょう。
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立嶋篤史のプロフィール
立嶋篤史のプロフィール
- 本名:立嶋 篤史(たてしま あつし)
- 通称:キック界のカリスマ
- 階級:フェザー級
- 身長:173cm
- 体重:57kg
- 国籍:日本
- 誕生日: 1971年12月28日
- 出身地:東京都豊島区
- スタイル:ムエタイ
幼少時代いじめを受け、
小学生の時に死を考えるも思いとどまり、中学2年生でキックボクシングを始めます。
習志野ジムに練習生扱いとして所属し、中学卒業後は単身タイに渡り、ムエタイ修業。
元サッカー日本代表の名良橋晃さんとは幼馴染。
また元格闘家の魔裟斗さんは全日本キックボクシング連盟時代に
「選手としても、人間的にも尊敬してる」
と立嶋篤史選手についてコメントするなど名高い人がリスペクトしています。
立嶋篤史の経歴
1987年8月3日、非公式ながらタイのランシットスタジアムでデビューを果たします。
帰国後、1988年4月29日に16歳で、
後楽園ホールのリングに上がりKO勝ちで日本公式デビュー。
1989年に17歳で高校を再受験し合格。
1991年4月21日、全日本キックボクシング連盟フェザー級王座決定戦で椿宗徳さんと対戦。
2ラウンドTKO勝ちで初のタイトルを獲得(第11代全日本フェザー級王者)。
1992年3月28日、
前・全日本フェザー級王者でWKAスーパーバンタム級王者の清水隆広と対戦し、
ローキックによる3ラウンドKO勝ちで、事実上の全日本フェザー級トップ選手となります。
高校在学中にフェザー級王座を獲得し、フェザー級頂上決戦を制したことから、
「地上最強の高校生」「キック界のカリスマ」としてマスコミから注目が集まり、
格闘技とは関係のない一般雑誌の表紙にも登場し、話題に。
試合と試験日程が重なることがあり、
単位が不足して高校を一度留年するも1993年に無事卒業。
同年にはライバル前田憲作選手にKO勝利するなど一躍「立嶋ブーム」を巻き起こしました。
日本キックボクシング界最初の1千万円プレーヤーであり、
カリスマと呼ばれるようになります。
1999年11月30日谷山ジムの全日本キック円満離脱に伴い、RIKIジムに円満移籍。
しかし2001年、長年所属した全日本キックボクシング連盟から離脱。
以後はニュージャパンキックボクシング連盟、その後にはIKUSAに参戦。
2003年12月には自転車で練習に行く途中に交通事故に遭い、
全治11か月の重傷を負っていました。
2006年10月2日、立嶋篤史選手の自宅1階に泥棒が入り財布等を盗られるも、
2階で物音に気付いた立嶋篤史選手は泥棒の後を追い、取り押さえたという話も。
2007年に千葉県船橋市にキックボクシングジ『ASSHIPROJECT』(アッシプロジェクト)を開講しており、現在も練習生約50人のジムの会長としても活躍。
2009年9月20日、6年3か月ぶり37歳での復帰戦となった
新日本キックボクシング協会『TITANS NEOS 6』で小野智史選手と対戦し、2-0の判定勝ちを収め勝利。
また2023年4月16日には『KROSS×OVER.21』にて100戦目の試合に出場。
松元仁志選手に残り1秒でTKO負けしているが現役で今も選手として活躍しています。
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立嶋篤史と松本人志の関係がわかるエピソードは?
立嶋篤史選手は昔から、
『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』
をビデオで録画するほどダウンタウンのファンなんだとか。
一方、ダウンタウンの松本人志さんも立嶋篤史選手のファンで、
後楽園ホールまで立嶋篤史選手の試合を観に行ったこともあり、
松本人志さん著書、朝日文庫『「松本」の「遺書」』 では、
立嶋篤史選手の試合の感想などを書いています。
テレビ番組内で松本人志さんが立嶋篤史選手の話をすることもあり、
立嶋篤史選手を読売テレビ系『ダウンタウンDX』の観覧席に招待したことも。
2人は相思相愛のようですね。
2023年6月5日には、
TBS系『クレイジージャーニー』に、立嶋篤史選手がゲスト出演。
松本人志さんが気になる人物ということで立嶋篤史選手を指名し、
25年ぶりの再会が実現。
これには2人の再会に喜ぶ人も。
最高
そして松本人志さんは今だに立嶋篤史選手の事を気にかけていたのか
松本人志と立嶋篤史がこんなかたちで再会するとは思わなかった
立嶋篤史選手のファンも松本人志さんが気に掛けてくれてることが嬉しいようです。
これからもお互いファンということでこの関係が続いたら良いですね。
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立嶋篤史の妻や息子も調査!
立嶋篤史選手の妻、そして息子さんはどんな方なのでしょうか?
調べたところ、立嶋篤史選手には妻がいなく、
シングルファーザーであるのだそうです。
一般人の方なのでしょうか?
元妻について詳しいことはわかりませんでした。
離婚したのか死別したのかも不明です。
立嶋篤史選手の息子さんにおいては、
父親と同じくキックボクシングをしており、公表されています。
名前は立嶋挑己(たてしま いどむ)さん。
こちらの写真は上記でも述べた31歳の交通事故から立嶋篤史選手が復帰した試合で、
息子さんをリングに上げたときのもの。
息子さんもとても嬉しそうですね。
挑己さんも幼少時代から嶋篤史選手の影響もあり、
キックボクシングを始め、8歳頃から本格的に練習を始めたのだそうです。
学校が終わるとジムへ直行する練習漬けの毎日を過ごしていたという挑己さん。
友達と遊べるのは土日の午前中ぐらいだったとのだとか。
因みに当時の苦手な科目は、油断するとすぐ分からなくなるという数学だそうです。
そして挑己さんは、アマチュアの大会に出場後、2015年1月12日に16歳でプロデビュー。
父親の嶋篤史選手と同じ歳でプロのデビュー戦を迎えました。
小さい頃は、父親のベルトを受け継いで、
チャンピオンになるのが夢だったとのことなので、
その夢に一歩近づいたことになります。
挑己さんはそのときの試合をこのように話しています。
プロとしてリングに上がることに萎縮し、体が硬くなった。
思い通りの動きができず、歯がゆかった。
インターバル中、師でもある父の顔が目に入った。試合でやりたかったことを思いだし、少しずつ攻撃が入るようになった。結果は引き分け。悔しかった。引用元:
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/www.sankei.com/article/20150215-2
惜しくもプロデビュー戦は引き分けに終わりましたが、
プロとして華やかしいデビュー戦となりました。
そしてこちらはプロとして初勝利をおさめたときの挑己さん。
挑己さんはその世界では知らない人はいない嶋篤史選手の息子というプレッシャーを抱え、
勝利し安堵したことと思います。
父親と比べられることは慣れたそうですが、
「父と比べてたいしたことない」などインターネットでの書き込みが目に入ってしまうこともあるのだとか。
悔しいと感じるそうですが、『モチベーションにもなる。いつか父を超え』と話していました。
2017年には高校を卒業。
SNSにはお父さんとのツーショットをあげています。
2人の仲の良さが伺えますね。
親子で番組に出演することも。
しかし現在(2023年5月時点)、
ジムのホームページにも挑己さんの名前はなく、
キックボクシングをやめたのでは?と心配する声も。
立嶋挑己 どうしているのか ジムのホームページにも名前が無い もうキックは辞めたのかな
立嶋挑己は元気にしているのだろうか
2018年の挑己さんのTwitterには意味深な投稿もありました。
色々と悩むこともあるのかもしれません。
最近はTwitterでつぶやかれていなく心情を伺うことができませんが、
挑己さんのことを待つ多くのファンがいるようですね。
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まとめ
立嶋篤史選手と松本人志さんはお互いファンということで、相思相愛のようですね。
立嶋篤史選手の妻について詳しいことはわかりませんでしたが、息子の挑己さんも父親同じくキックボクシングの選手であるようです。
親子共にこれからも活躍してほしいですね。
https://calmes01.com/matumotohitosi-yomekankoku/