お笑いコンビ「オードリー」。
いまや、テレビで見ない日はないというくらいの活躍ぶりですね!
今回はそんなオードリーの若林正恭さんにスポットをあてて、
オードリー若林正恭の父親は営業マンで死因はがん?
オードリー若林正恭の母親や姉はどんな人?
オードリー若林正恭と家族のエピソード5選
以上3つのテーマについて調べてみました。
どうぞ最後までお付き合いください。
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オードリー若林正恭の父親は営業マンで死因はがん?
オードリー若林の父親は営業マンで死因は肺がん?
オードリー若林さんの父親は「タカヒコ」さんといいます。
オードリー若林さんの父・タカヒコさんは、営業の仕事をしていたそうです。
また、営業の仕事の他には、喫茶店のマスターをしていたこともあるのだとか。
オードリー若林さんの祖母が『食堂・林』を経営しており、
その隣の『喫茶・林』で働いていたようですね。
そんな若林正恭さんはの父親は、すでに他界されています。
オードリー若林さんの父親の死因については、明確には分かりませんでした。
ただ、オードリー若林さんが過去に語ったところによると、
父親は肺がんで余命間もないと宣告されていたそうです。
そして、1年半の闘病生活を経て、2016年の4月に死去されました。
なので、
オードリー若林さんの父親の死因については、
「肺がん」だと思われます。
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絶縁状態から闘病・別れ
オードリー若林と父親は絶縁状態だった
実はそんな父親とオードリー若林さんは、
2008年の年末ごろまで絶縁状態にあったといいます。
オードリー若林さんと父親がなぜ絶縁状態にあったのかというと、その理由は・・・
「若林さんが売れないお笑い芸人をいつまでも続け、なかなか定職につかずにいた」
ことが原因なのだそう。
オードリー若林さんは、当時まだ実家で両親と一緒に暮らしていました。
しかし、彼が売れないお笑い芸人として活動を続け、定職につかなかったことが、
父親との確執の原因となりました。
ある時、業を煮やした父親からは、
「芸人を辞めて定職に就くか、家を出て芸人を続けるか」
という選択を迫られたとオードリー若林さんは明かしています。
このとき父親は、司法書士に念書の作成まで依頼するほど本気だったとのことです。
父親は、彼の将来を心配し、
安定した生活を築くために定職に就くことを望んでいたのでしょう。
この選択は、オードリー若林さんにとって大きな岐路となりました。
彼は自身の夢を追い求めるために家を出る覚悟を決め、
一人で芸人としての道を歩むことを選びました。
それが結果的に、父親との絶縁という結末を招いたのです。
オードリー若林さんは、父親の関係を断った時、
多くの葛藤と孤独を感じたことでしょうね。
しかし、この苦難の選択が、後の彼の成長と人生の転機となっています。
その時、芸人を辞めて定職に就いてたら、
今の『オードリー若林』は存在していないのですから…。
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M-1準決勝で父親に心境の変化が
実家を出て、お笑い芸人の道を続けていった、オードリー若林さん。
2008年末に行われた「M-1グランプリ」で準決勝にまで進出。
この時の放送を実家で見ていた、オードリー若林さんの父親が
「不思議なものを感じた」というエピソードがあります。
この年の「M-1グランプリ」でのオードリーのエントリーナンバーは「4431」でした。
ことを知った父は「俺のためにその番号を選んだのか」と考えたようです。
というのも阪神タイガースファンである父は、
「4431」という番号は、
- 『ランディ・バースの背番号44』
- 『掛布雅之の背番号31』
を合わせたものと思い込んで感動したといいます。
この頃から、少しずつオードリー若林さんの父親の中で、
お笑いに対する気持ちに変化が出てきたのかもしれませんね。
若林さんの継続する努力と成果を目の当たりにしたことで、
父親の心にも変化が生じたのでしょう。
そして、2009年に、
オードリー若林さんが久しぶりに実家に帰省した際に、
オードリー若林さんとお父さんは和解しています。
この帰省は、2年ぶりの帰省でした。
その日の夜、オードリー若林さんは、
長い間絶縁状態にあった父親と真剣に話し合いをしました。
お互いの思いをぶつけ合い、理解し合うことで、心の垣根が取り払われたのです。
その後は、父親との関係も順調に続き、
オードリー若林さんもお笑い芸人としてますます活躍の場を広げていきました。
彼の頑張りと成果に対して、父親も誇りを持ち、
オードリー若林さんを応援するようになったのです。
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父親の闘病そして別れ
しかし、2015年前後から、
オードリー若林さんの父親は体調を崩し、
入退院を繰り返すようになってしまいます。
忙しい芸人としての仕事に追われながらも、
若林さんはお父さんのお見舞いに頻繁に足を運んでいました。
仕事の合間を縫うように、病院に通い、父親との貴重な時間を共有しました。
入院中も、病室で2人だけの時間を大切にしていたそうです。
オードリー若林さんは父親の側に寄り添い、笑い話や思い出話を交わしました。
しかし、2016年4月、オードリー若林さんの父親はこの世を去ることになったのです。
彼の闘病と苦しみは終わりを迎えましたが、残された家族にとっては大きな喪失でした。
オードリー若林は父親の死去後「お笑い引退」を考えた
2016年の4月、オードリー若林さんの父親が亡くなった後、
彼は大きなショックを受けました。
父との絶縁を経てまで続けてきたお笑いについても、
若林さんは周囲に対して弱音を吐くほどの悩みを抱えていたようです。
若林さんは自身のラジオ番組「オードリーのオールナイトニッポン」の放送中に、
この辛い時期の心情を率直に語っています。
彼は聴取者に向けて以下のように語りました。
「あと、あれだぜ。どんな偉い人の聞こえのいい言葉も、全然響かなくなるな、親父が死んだら。『生きてる人の言葉だな』って思うもん。『死んでねぇもんな、この人』って思うもん、どんないいこと言ってても」
引用元:オードリー若林正恭「父の死」でお笑いネタも作れないと弱音
オードリー若林さんは、お笑いのネタを書くためには
「何かに引っかかりを感じて、何かに怒ってなきゃダメな気もする」
と語りつつも、
「でも、もう無理だね」
と笑いながらも弱音を吐いて、
芸人としての将来に不安を抱えていました。
しかし、そんな彼がこの辛い時期を乗り越えることができたのは、
相方の春日俊彰さんをはじめとする多くの仲間の存在があったからかもしれませんね。
そんな支えがあったからこそオードリー若林さんは、
今もなお芸人として大いに活躍しています。
彼は厳しい現実と向き合いながらも、笑いを追求し続けています。
そんな若林さんの姿勢を、彼の父親は天国から見守っていることでしょう!
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オードリー若林正恭の母親や姉はどんな人?
オードリー若林の母親は島根出身
若林さんの母親は、島根県鹿足郡吉賀町柿木村(かきのきむら)の出身です。
柿木村は自然に囲まれた美しい場所であり、
オードリー若林さんも幼少期に母方の実家を訪れていたようです。
そこではクワガタやカブトムシ、
30cmを超える大きなオニヤンマなど、
豊かな生態系が息づいていたそうです。
結婚前の両親にはこんなエピソードがあります。
父親は、母親の親戚の家に結婚の報告をしに行ったところ、「お前みたいなヤツはダメだ」と、義兄に言われてしまったという。そこでキレた父親は、義兄を殴ってしまったそうだ。
引用:世界は数字で出来ている
この騒動によって、父親は母方の実家に出禁になったそうですよ。
オードリー若林さんの父親はかなり破天荒な人だったようですね。
オードリー若林は姉と恋人のように仲良し?
オードリー若林さんには2歳離れた姉が1人います。
オードリー若林さんと姉の関係は非常に仲良しだと言われています。
オードリー若林さんと姉は恋人と間違えられて週刊誌に写真が掲載されるほどです。
姉はマッサージ師であり、
オードリー若林さんは彼女の実験台になることもあるそうです。
しかし、姉は「若林正恭の姉であること」が嫌なんだそうです。
オードリー若林さんの姉が笑いを取ると
さすが、オードリーの姉だな
と言われることも嫌なんだそうですが、
弟の面子を守るために良い人でいなければならないと感じているそうです。
家族に有名人がいると、多くの人々は羨ましく思うかもしれません。
しかし、実際にはその状況は少し大変なようですね。
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オードリー若林正恭と家族のエピソード5選
エピソード①:若林一家は家族総出でCM出演していた
オードリー若林さんは、小学2年生のときに、
花王のCMに家族総出で出演していました。
父親が野球好きということもあって、
少年野球チームに所属していたオードリー若林さんですが、
剣道もしていたようですね。
CMでは、剣道の防具を着て、
父親や母親や姉と一緒に笑顔でポーズを取っています。
CMのタイトルは「花王ファミリー剣道部」でした。
エピソード②:父親は8回も会社をクビになった
東京都中央区の入船に生まれ育った若林正恭さん。
実家は八丁堀駅や新富町駅の近くにあり、
築地市場に近かったことから新鮮な魚介を食べていたそうです。
しかし、若林正恭さんは、生まれ育った実家が地上げされ、
小学6年生の時に杉並区の久我山へ引っ越しています。
そのため、若林正恭さんは満員電車に乗って、
以前の小学校である中央区立明石小学校へ通っていたそうです。
久我山は、吉祥寺や井の頭公園が近く、
閑静な高級住宅街として知られています。
また、若林正恭さんは中学から大学まで私立校に通っていました。
これらのことから、若林正恭さんの実家は裕福な家庭だと思われるかもしれません。
しかし、実際には家計はかなりの浮き沈みがあったそうです。
その理由は、若林正恭さんの父が8回も会社をクビになったからです。
と言うのも若林正恭さんの父親は、さぼり癖があったようです。
営業車を自宅前に駐車し、自宅で昼寝をするという行為を行っていました。
しかし、この行動が会社にバレてしまい、クビになったことも…。
また、それだけでなく、彼の父親は朝まで麻雀をして、仕事を休んでしまうなど、
サボり癖は治らずに、転職を繰り返すこととなり、家計にも大きな影響を与えたようです。
そのため、父親が仕事をクビになると、家庭の食事が質素になりました。
次の仕事が決まるまでの間は、おかずが減り、
仕事が決まるとおかずが増えるという状況が続いたそうです。
「父が会社を8回クビになっていた」ことを大人になってから知った若林は、子供の頃は「親父がいつも家にいるな」と違和感を覚えていたと明かす。
父がいつも家にいると「ウインナーとご飯だけ」「豆腐とご飯だけ」など、おかずが減る。逆に父が家にいないとおかずが増えていき、「それを何度か繰り返した」という。
引用:Sirabee
若林正恭さんの父親が転職や失業を繰り返したことにより、
家庭の経済状況は不安定なものとなっていました。
学費は削ることができなかったため、
食費を削ることで何とかやりくりしていたのでしょう。
一般的には私立学校に通っている人は裕福な家庭に育っていると思われがちですが、
若林正恭さんの家庭はそうではなかったようですね。
若林正恭さんは、幼少期から家庭の経済的な浮き沈みを肌で感じる日々を過ごしていたようです。
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エピソード③:父親の最期にコンビニのソフトクリームを食べさせてあげた
若林さんは、仕事に行く前に必ず、
肺がんで入院していた父親の病室へお見舞いに行っていたそうです。
若林さんは、ある番組のインタビューで、
「最後にお父さんと過ごした日々で特別な思い出はありますか?」
と尋ねられました。
彼は2016年、父親が亡くなる1日か2日前の出来事を振り返りました。
若林さんが病室で父親に「何か食べたいものはある?」と尋ねたところ、父親からの答えは
コンビニのソフトクリームが食べたい
という言葉でした。
この返答に若林さんは驚き、
「最期の時にコンビニで手に入るものを食べたいと思うなんて衝撃的だった」
と述懐しています。
最期の瞬間に、父親が選んだのは身近なコンビニのソフトクリーム。
それが持つシンプルでありながら強い意味に、
若林さんは感銘を受けたのかもしれませんね。
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エピソード④:若林家はアイスが大好き
アイスクリームつながりで、
オードリー若林さん一家にはこんなエピソードもあります。
2019年4月2日のフジテレビ系『セブンルール』で、
若林正恭さんは変わった家族ルールとともに、姉に対する不満を明かしています。
若林家では、カードゲームの負けた人が
家族分のアイスを買いに行くというルールがあったそうです。
これは父親や母親の本気を引き出す良いルールだったかもしれませんね。
しかし、オードリー若林さんのお姉さんが負けた場合、
家族全員でアイスを買いに行くという特例があったそうです。
このルールには、“かわいい娘が襲われたら大変!”という危機感が両親に働いたのかもしれませんね。
しかし、弟のオードリー若林さんは納得がいかなかったようで、
家族が帰ってくるなり喧嘩をしてしまったそうです。
とはいえ、若林さん一家はアイスクリームが大好きなようですね!
エピソード⑤:家族への態度が悪い?
オードリー若林さんは、ある番組で
結婚してから自分の母親と姉と奥さんと4人でご飯とか食べたりすると、俺の母親と姉への態度がヒドイらしいのよ
と吐露しています。
あまりにも悪い家族への態度を目撃した嫁さんから
そこまでヒドイと、ゆくゆくは私もそういう接せられ方するのかと思うと、先のこと考えちゃう
と告げられたと明かしました。
オードリー若林さんは、妻からの指摘を受け、
家族関係の改善に努めるようになったと苦笑していました。
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まとめ
今回はオードリーの若林正恭さんにスポットをあてて
- オードリー若林正恭の父親は営業マンで死因はがん?
- オードリー若林正恭の母親や姉はどんな人?
- オードリー若林正恭と家族のエピソード5選
以上3つのテーマについて調べてみました。
いかがだったでしょうか。
今後の活躍がますます楽しみですね!
最後までお読みいただきありがとうございました。
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