今回はフリーランス(事務所に所属しない)で
キングオブコント三年連続準決勝進出をし、
2017年には見事!決勝へ進出されたゾフィー上田航平さんについてです。
では、
『ゾフィー上田航平は高学歴で大学は慶應?』
『高校時代はいじめが壮絶だった!』
について、どうぞご覧ください。
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ゾフィー上田航平のプロフィール&経歴
上田航平のwikiプロフィール
- 名前:上田航平(うえだ こうへい)
- 出身地:神奈川県 青森県
- 生年月日:1984年12月17日 1980年3月26日
- 血液型:O型
- 身:170cm
- 体重:60kg
- 趣味:読書(年間150冊)、海外ドラマ、サウナ 漫画(特にキングダム、バキ)
- 特技:塾講師経験を活かしたプレゼン力、当て書きでコントが作れる、なんでも食べられる(虫も)
- 資格:剣道2段(上段)
- 部活動:剣道
お父さんは、慶應義塾高等学校で野球部監督を務めた上田誠さんで、
小学生の時から野球を続けていましたが、
あまりに厳しいトレーニングを受けた結果
上田航平さんご自身が耐えられなくなり、
野球を辞められたそうです。
お父さんは『エンジョイ・ベースボール 慶應義塾高校野球部の挑戦』という
本も出版されている程、すごい監督だったようです。
そして、お母さん側の祖父は有隣堂という、
神奈川県を中心に、東京都や千葉県に約40店舗もチェーン展開をしている
本屋さんの元副社長田宮隼人さんという方です。
幼少期からよく祖父母の家に行き沢山の本に触れて育ってきたみたいです。
中学受験をしているようで、
中学時代には、お笑い研究会みたいなものをしていて、
文化祭で中国語での漫才をし、ご本人の話では結構ウケがよかったそうです。
中学生の時で、中国語で漫才ができるのも凄いですよね!!
高校時代には、剣道部に所属していたみたいです。
剣道二段の実力の持ち主だそうで、文武両道で凄いですね!!!
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ゾフィー上田航平の経歴
2010年にお笑いコンビ『チェルシー』を結成します。
『石井光三オフィス』に所属し、活動をされていましたが、
その後約3年ほどの期間を経て、解散することになります。
当時相方として活動されていた流木ターナーさんは芸人を辞め、
現在落語家に転向し柳、
亭信楽という名前で落語芸術協会に所属されています。
その後2014年4月から、新しくお笑いコンビ「ゾフィー」として
活動をスタートしており、フリーランスで活動していきます。
2017年10月からは、
「グレープカンパニー(GRAPE COMPANY)」という事務所に所属されています。
ボケ担当で、ネタ作り担当でもあるそうです。
事務所に所属してから、今までの受賞歴が以下になります。
- ”キングオブコント2017 決勝進出
- キングオブコント2019 決勝進出
- 令和元年度 NHK新人お笑い大賞 準優勝”
引用:GRAPE COMPANYより
このように、キングオブコントで二回も決勝進出を果たしています。
令和に入ってからも、
愛知県のローカル局メ~テレで放送中の情報番組『ドデスカ!ドようびデス』内の
「レコメンドデスカ!」でリポーターとして、活躍されています。
https://youtu.be/JIo5LG1ujOQ
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ゾフィー上田航平は高学歴で大学は慶應?
上田さんの最終学歴は慶応義塾大学です。
法学部政治学科に所属されていたそうで、
かなり優秀な頭脳の持ち主です。
このように慶應義塾大学の中でも
偏差値が67.5(2023年度)と上位に位置づけされる学科です。
この法学部政治学科の卒業生には、
- フジテレビアナウンサーの伊藤利尋(いとうとしひろ)さん
- 女装家でタレントのミッツ・マングローブさん
- 俳優の崎本大海(さきもとひろみ)さん
がいらっしゃいました。
大学時代には演劇サークルに所属していたようですが、
部員が全員辞める事件が起きます。
部員が何か言いたそうにしていて、
聞いたら「しんどい」と言われたんだとか!
所がそこで、上田さんが
「本当にやりたい奴だけ残ればいいし、やりたくない奴は帰れ」
と言ってしまったようで、その結果その場にいた部員20人が全員辞めたみたいです。
その後も脚本から音響、演出など全て一人で行い、
その後の公演で火災事件が起き、
一人で続けてきたこの演劇サークルは無くなることになりました。
このように大学は慶應義塾大学という偏差値の高い学校に通われており、
かなりの努力家であるんだろうなと思いました。
その一方で、だいぶ尖った性格のおかげで、
色々と学生生活で苦労もされているようでした。
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ゾフィー上田航平の兄弟も慶應大学出身?
ゾフィー上田航平の兄弟も慶應大学出身?
上田さんには弟さんが一人いて、二人兄弟です。
その弟さんは慶應義塾中学校を卒業後、
慶應義塾高等学校に進学したことまではネット上に記載がありました。
ご本人が発信したのかは分かりませんが、
弟さんは慶應義塾中学校と慶應義塾高等学校に通っていて
野球部のマネージャーをしていたなどの話も出ているので、
事実なのではないかと思います。
弟さんのその後などについては語られておらず、
調べてみたものの、分かりませんでした。
ただ、兄弟そろって慶應に通うほどの秀才兄弟である事は分かりました。
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ゾフィー上田航平の父親も慶應大学出身?
そして、なんとお父さんの上田誠さんも慶應義塾大学の卒業生だそうで、
難関の神奈川県立湘南高校を卒業後、慶應義塾大学に進学していました。
このことから、上田家は兄弟のみならず親子そろって秀才のようです。
上田誠さんは現在、
『神奈川学童野球指導者セミナー』の事務局代表も務められています。
お父さんの口癖が、
「俺が興奮するような生き方をしなさい」だったらしく、
いい大学に進学しろ!だとか、
いい会社に就職しなさい!のようなことは言わないそうです。
むしろ普通の生き方はつまらないため、
「サラリーマンになったらぶん殴る」と言われてきたんだそうです。
子供の事を考え、自分で考えられるような育て方をされていて、
素晴らしいなと感じました。
そしてそういった環境の中で、
兄弟そろって慶應に行けるのも、驚きでした。
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ゾフィー上田航平の高校はどこ?イジメが壮絶だった!
次は高校について調べていきたいと思います。
高校はどこに通っていた???
上田さんの高校についてはご本人がどこの高校に通っていたか
明らかにしておらず、正式には分かっていません。
ただ、ネット上に一番多く上がっている情報としては、
神奈川県にある神奈川県立湘南高校です。
ここは偏差値が75とかなり高く、
慶應義塾高等学校、慶應義塾湘南藤沢高等学校続く難関校です。
一方、どの中学校に通っていたかも公表されていないため、
正確な情報が分かりかねますが、
中学時代に受験をしたと語られており、
その中学校は男子校だったとご本人が語られております。
慶應義塾一貫教育校(小・中・高等学校)の中学校は男子校であるため、
この一貫校への受験を中学の時にしていて、
高等学校にはそのまま上がったような形で進学したのではないか
という情報も上がってきていました。
どちらにせよかなりの難関校であるため、
かなりの努力が必要であったと思います。
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壮絶なイジメを経験???
ご自身でイジメについて語られていました。
小学校時代のイジメ
まず初めは、小学校低学年の時だったようで、
お母さんが当時の事をこのように語っていたそうです。
”「いじめっ子たちに体操着を泥水に捨てられて何度も踏まれていた。でも、あんたは誰よりも笑いながら、一緒になって自分の体操着を踏んでた」”
引用:笑下村塾
このようにご自身も明るく陽気な性格だった為、
イジメられている認識はなく、
一緒に遊んでいるような感覚だったみたいですね。
その認識が変わったのが、高学年の時みたいです。
最初はほうきを投げられる所から始まったそうです。
それからどんどんエスカレートしていき、
唾を飛ばされるようになったりしたそうです。
その後も、上田さんが持って行っていた鞄を投げつけられたこともあったようです。
その鞄の中には、家庭科の授業で持ってこなくてはいけなかった
お茶碗が入っていたようで、それが割れているのを見て、
初めて泣いてしまったと語られていました。
こんなことされたら、誰でもイジメられてると認識しますよね。
ここで、ようやくみんながやってることが遊びではなく、
悪意を持ってやっているという事に気が付いたそうです。
上田さんはこれ以上のイジメになることが怖くて、
親にも、先生にも誰にも言うことが出来なかったそうです。
しかし、中学受験をすることを決めていたこともあり、
そこから現状の環境から逃げ出すためにも、
猛勉強をし見事中学受験に成功しました。
小学校のこのイジメられている状況に戻りたくないと必死に勉強していたみたいです。
そのおかげで中学時代は楽しく過ごせたそうですが、
高校に入るとまたイジメの標的にされてしまいます。
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高校時代のイジメ
”「剣道が弱い人はぞんざいに扱われるような雰囲気がありました。殴る、蹴るといった暴力も受けましたし、ひどい要求に従わされることも……。」”
引用:笑下村塾
このように今度は剣道が弱かったことが要因となってしまいました。
剣道部では、実力が重視される縦社会だったようで、
かなりひどいイジメを受けていたようですが、
無遅刻・無欠席だったようです。
このイジメの時も、転校をしたわけではなく、
元々好きだった本を読むことで、救いを探していた。
と語っていました。
それ以外にも、ひたすらイジメられた事をご自身でノートに書き記し、
された事を全部忘れないようにしていたそうです。
その理由が、そのノートを見てご自身で、これだけつらい思いをしてきたけど、
ちゃんと全部を乗り越えてきたんだ!と見返せるようにとの事でした。
実際に20代の頃はそのノートを見て
「こいつらを見返すために頑張ろう」と
見返していた時期もあったそうです。
しかし、そのノートを見返すことで、
自分自身がそのいじめの事を振り返っているような気がしていたそうで、
その時間が無駄だと気付き見返すことはなくなったそうです。
イジメは色々な形が存在し、
された本人にしか気持ちはわからないのかもしれません。
でも、どこかのタイミングで誰かが気づき、
手を差し伸べてあげることが出来なかったのかなと思ってしまいますね。
上田さんが勉強や本、そして何よりお笑い芸人になるという道に助けられ、
今イジメられた過去を話せるまでになっていることが、本当に凄いと思います。
二度のイジメを乗り越え、苦労を沢山されてきた上田さんが、
こうやってお話しをしてくれることで、今イジメられている人たちの
救いの一手になってくれることを切に願っています。
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まとめ
今回はお笑いコンビ「ゾフィー」の上田航平さんの学生時代などについて調べてきましたが、かなり壮絶な人生を歩んできていた事が分かりました。
これから先の上田さんの人生が、どうか明るく笑顔で溢れた人生になりますよう、願っていたいと思います。
そして今後のご活躍を期待しています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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